2017年4月25日火曜日

右翼と左翼

フランス大統領選挙、この稿が紙面に載る頃には結果が判明しているだろう。決選投票に進む二人は誰か。まさか一回の投票で決着することはなかろうが。
極右政党のルペン氏のリードが伝えられる中、終盤になって極左のメランション氏が支持を伸ばしていると伝えられた。極右と極左、本来なら正反対の立場を取るはずの二つの政党がどちらも同じくEUからの離脱を訴えているというところが面白い。ただ、双方の主張を聞くと如何にも右翼と左翼の特徴を良く表している。
右翼と左翼を保守と革新に置き換えて、あい反するものと考えると本質が捉えられないように思う。三五六回の当コラムにも書いたが、右翼と左翼は対立する概念ではなく、世の中の見方や、自分と世の中の関係の捉え方が違うのだと考えた方が良く理解できる。
右翼というのは世の中を縦に切り、身内と部外者の違いを明確にする。トランプ大統領のアメリカ・ファーストなどは右翼的な考え方だし、戦前の日本が自身を神の国だとして他国に対する優位性を主張したのは右翼の典型的な姿と言える。
一方の左翼は世の中を横に切り、恵まれた者とそうでない者に分け、恵まれない者の権利を主張する。共産主義が資本家に対する労働者階級の権利の主張から生まれたのがまさにそれだ。第二次大戦前、持てる国に対して持たざる国との認識の元で日独が連携したのはある意味左翼的な立場だったと思う。ナチスの正式名称は「国家社会主義ドイツ労働者党」だが、右翼だか左翼だかよく分からない名前ではある。
さて、今回のフランス大統領選、極右のルペン氏は「フランスには国境が必要だ」と訴え、極左のメランション氏はEUによってフランスの産業が競争力を失ったとして格差是正を訴える。まさに右翼と左翼の主張なのである。

2017年4月18日火曜日

地政学

最近株の世界は「地政学リスク」で持ちきりだ。アメリカがシリアを空爆したことにより、朝鮮半島がにわかにきな臭くなり、そのリスクを受けて日経平均は六日連続して下げた。日本の相場が朝鮮半島の影響を受けるのを「地政学リスク」というのは分かるが、地球の裏側のシリアやアフガニスタンの騒動でアメリカのダウが下げるのも地政学と言うのはいかがなものか。
地政学を辞書で引くと「政治現象と地理的条件との関係を研究する学問」とある。シリアの混迷の影響を受けてトルコが強権的政治へ移行しようとするのはまさに地政学と言えるかも知れないが、アメリカとシリアの関係を地政学とはどういうことか。
トランプ大統領の選挙中の公約の中で唯一「もはやアメリカは世界の警察ではない」という言葉には期待した。アメリカだけが偉そうな顔をして世界の平和を口実に他国の内政に干渉するのはかえって世界の平和のためにならないように思っていたから。イラクが一番良い例でサダム・フセインの独裁政治は、シーア派とスンニ派の対立やクルド人問題など複雑な国内情勢をまとめる一つの解決策としてイラク人自身が選んだものだったのだからそれに干渉すべきでなかった。イラクがクエートから撤退した時点でアメリカは手を引くべきだった。
もっと言えばイラクとクエートの国境線、いや中東の国境線そのものが西欧の都合で引かれたものだとすると、国境線の変更も民族自決にゆだねるべきではないかとすら思う。
アメリカではシリア攻撃よりも国内問題を優先すべきだと主張したバノン氏が更迭された。トランプ大統領はつまるところ確たる信念があるわけでなく、取り巻きの主張を右顧左眄しているだけなのかも知れない。これは地球全体の地政学いや政治リスクなのだろうか。

2017年4月11日火曜日

二つのニュース

二つのニュースがあって、それらはそれぞれ独立した別個の話題なのだけど中に共通したテーマがあって、それが不思議なことに全く別の価値観で語られている、という事がたまにある。
例えばその一つが盛り土に関する話。東京の豊洲市場のゴタゴタでは土壌汚染対策としてなされた盛り土の上に建物を建てる事の構造的安全性が話題になった。ところが東日本大震災で津波の被害を受けた地域で行われている10mを越える高さの盛り土について、その上に家屋を建てる事に関して安全性を問う記事を見たことがない。支持地盤まで杭を打つ構造物に疑問を投げかけ、恐らく盛り土の上に基礎を置くだけの家屋を疑問視しないのは何故か。
もう一つは自動車の運転に関する話。先日も「免許返納でお得」という見出しで、高齢者に運転免許を自主返納する事を勧める記事があった。最近高齢ドライバーの運転ミスによる事故が増えての事で、免許を返納する代わりに運転経歴証明書を貰い、それを身分証明書にしたり、それを提示する事で商店街での買い物で割引を受けたりできるという。葬儀の際の祭壇料を15%引きにするという例もあるそうでなんだか悪い冗談に思えた。
子供は離れて暮らし、配偶者にも先立たれたりして一人暮らしとなれば買い物など車は必須になるだろうに、その人等に免許を返納しろとはあまりに酷な要求ではないか。
一方で最新技術の話題としてAIによる自動運転の記事も良く見かける。だがこれらはタクシーや物流トラックへの応用の話はでるが、高齢者を支援するためのものとして語られることを今まで見たことがない。自動運転の恩恵を一番に受けるべきは高齢者であると思うのに。
私が後期高齢者になる頃には免許を手放さなくても良い世の中になっていて欲しいものだ。

2017年4月4日火曜日

すかんぽ

「すかんぽ」という植物をご存知だろうか。俳句歳時記を開くと春の季語として酸模(すいば)の名で載っており、また別名を「イタドリ、イタンポ、ドングイ、スッポン、ゴンパチ、エッタン」などとも言うそうだからそちらの名前でご存知の方もいるかも知れない。
タデ科の多年草で春に川の土手に新芽を出すそうだ。生でも食べられ酸味があるというが、春、酸味、川の土手、いかにも田舎の風景に似合う風情が作者に悲恋を想像させたのだろう。「すかんぽの唄」(星野哲郎作詞 米山正夫作曲)という唄がある。
 ちぎるとスポンと音がして
 青い匂いが手に残る
 すかんぽ摘めばおもいで帰る
 胸の痛みに気がついた
 あれは俺らのあれは俺らの十九の春さ
もっと幼く純真なものでは北原白秋作詞・ 山田耕筰作曲の「すかんぽの咲く頃」がある。
 土手のすかんぽ ジャワ更紗
 昼は蛍がねんねする
 僕ら小学尋常科 今朝も通ってまたもどる
 すかんぽ すかんぽ 川のふち
 夏が来た来た ドレミファソ
唐突にジャワ更紗が出てくるが、白秋の頭の中では土手に並んだすかんぽがジャワ更紗の縞模様を思い出させたのだろう。そのジャワ更紗の展示が今出雲文化伝承館で行われている。深みのある茶色をベースにしたデザインは、高貴さや昔懐かしさを感じさせる。懐かしさも白秋がすかんぽとジャワ更紗を連想したポイントの一つだったか。

開催は夏も間近な五月十四日まで。期間中様々なイベントも計画されている。土手ですかんぽを摘んで、ジャワ更紗を鑑賞し、白秋の追体験をしてみては如何だろうか。