悪事というと何か凄く悪い事のようなイメージがあるので、ここではやわらかく悪い事と言っておく。前々回のウソも悪い事の一つで、人は出来ればウソをつきたくないのと同じで出来れば悪い事はしたくない。そもそも悪い事とは何か、という問題もなかなか難しく面白くていろいろ議論ができそうだが、それもここでは置いておこう。
豊田真由子様という方は自分の暴虐ぶりについて、事件発覚後身を隠しておられるところをみると、それが悪い事だという自覚はお持ちのようだ。
自分が悪いと思っている事を敢えてやる時には結構勇気がいるものだ。それでも悪い事をやってしまうのはどういう時か。わが身を振り返ってつらつら考えてみるに、正当防衛や緊急避難のケースを別にすると、それがばれる可能性が低くて、万が一ばれた時にもそれに伴い負担するコストが安く、かつそれによる利得が大きい場合という事になるだろうか。要するに露見の可能性とコストと利得のバランスを考慮して、という事になりそうだ。
例えば人前でオナラをするという場合、大きな音がしない事を祈りつつ、もしばれても頭を掻いて笑って誤魔化そうという思い、このお腹の違和感を何とかしたいという切羽詰った思いが交錯して断行する事になる。
真由子様の暴虐ぶりは正当防衛も緊急避難も関係ないから、彼女の頭の中でも上記の要素が葛藤したと思うのだがどうだろう。露見の可能性がないと思っていたのだろうか。露見した時のコストを読み違える程馬鹿ではないはずだ。それともあのストレス発散がそのコストを上回る利得を彼女にもたらしたのだろうか。
それでもまだ悪い事との自覚があればいい。防衛大臣はどうやら悪い事(公的立場の私的利用)をしたという自覚がないようだ。これもまた困ったものだ。
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