だいぶ前になるが小池百合子氏の講演を聞いた事がある。確か氏が環境大臣の頃だったと思う。場所は経団連のビルで演題は環境問題関連だったと記憶する。ところが実際の中身は演題とは全く関係のないカイロ大学での思い出話を延々と話すだけで、その内容には大きな失望を感じた。
その時から私の小池氏評は地に落ちた。碌な準備もせず、約束した演題と無縁な話を長々と話す不誠実さに呆れたからだ。東京の都知事選に立候補を表明した時もまさかあんな大勝を収めるとは夢にも思わなかった。民進党の多くの議員が彼女にひれ伏すかのように集まっていくのも、何かの間違いではないかと思った。
岡目八目で言わせて貰えば、都知事選と都議選の大勝は日本人の判官贔屓がもたらしたものではないだろうか。あの選挙では、大きな権力を持つ自民党とその都連がいて、それに素手で立ち向かう健気な挑戦者という構図があった。もし小池氏がすんなり自民党の公認を得ていたならば、果たしてあの結果が出たかどうか。所謂小池人気なるものが、本人のパーソナリティに根拠があったのか、それとも判官贔屓を引き出す構図が作り出したのか。自らを強者に位置づける排除発言で後者がなくなった衆院選の結果を見れば結論は明らかに思える。
だが、パリでのガラスの天井への言及などからすると、ご本人は未だ自分のパーソナリティに自信をお持ちのようだ。ガラスの天井、確かにあるかも知れないが世界にはドイツのメルケルさんのような例もある。メルケルさんはきっと有能でかつ誠実なのだろうと想像する。
それにしても日本の針路に大きく影響しそうな次の四年間がこんな敵失で決まっていいものか。消費税は間違いなく上がる、改憲への扉も開かれる。その手順が気になってしかたないのは私だけだろうか。