2017年11月7日火曜日

自殺

二十年程前の事だった。会社で同僚の御子息の訃報が流れた。高校生で、詳しい事は分からないがどうも普通の死に方ではないらしいとの噂だった。同じ日の夜、高一の娘が言うには「今日、学校で三年生が自殺したのが見つかったよ」と。部活の部屋で首を吊っていたらしい。この二つの話が同じ事件だと分かった時には身の毛がよだつほど驚いた。
それまでは遠い世界の事のように思っていた身内の自殺が、急に間近にクローズアップされて迫ってきた。もし自分の子が自殺したら、そのショックに私は耐えられるだろうか。すぐにでも三途の川を渡ってあの世へ行って、閻魔大王の前に並ぶ我が子を探し出して、その胸倉をつかんで「この馬鹿野郎!どうして俺に相談してくれなかったのだ!」と往復ビンタをくらわさないと気が済まないだろう。そして骨が折れるほど抱きしめてやる。
自ら命を絶っただけでも耐えられないのに、神奈川の座間で命を奪われた八人の女性の御親族の思いは如何ばかりか、察するにあまりある。どこの馬の骨か分からないような男と話をするくらいなら、どうして自分に悩みを打ち開けてくれなかったのか。そもそも見ず知らずの男に誘われるままにノコノコとアパートにまでついて行くというのはどういう心境なのだろう。死ぬ決心とは常識では測れないものなのか。
四日も五日も経っても身元が分からないというのも不思議なものだ。死体はバラバラにされて肉を剥がれていたというが、顔の肉まで剥いだ訳ではなかろう。発見時に即、性別が発表されたのも頭部の腐敗はそれほど進んでいなかったからではないか。被害者はいずれも若い。失踪者のご家族は必死で行方を案じ、情報を求めておられるはずだ。情報化社会は犯罪には加担しても、捜査には寄与しないのだろうか。

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