一月十八日発行の週刊新潮(二五日号)を見て驚いた。藤原正彦氏のコラムがセクハラ問題を取り上げ、前回この欄で書いたのと似たような内容になっている。カトリーヌ・ドゥヌーブの発言を紹介し、おまけに源氏物語にまで言及しているではないか。セクハラの話題から源氏物語を想起するなんて、経緯や思惑は違うにしろ偶然とは思えぬなにか親近感を感じた。パワハラとか他の言葉の辞典出現も調べて一週間遅らせて発表しようかとも思っていたが、先に書いて良かった。
式守伊之助が若手行司に対して行ったのは、職場環境での出来事なのでセクハラと言うよりむしろパワハラと言うべきではないか、と最初思った。敢えてセクハラと言うのはキスという行為があったからなのか、などと詮索する内にセクハラとパワハラの本質的な違いに気づいた。それは相手に対する感情の違いだ。
パワハラの場合上司の感情は相手に対する蔑視や苛立ちや嫌悪と言ったどちらかと言えば否定的なものだ。一方セクハラの場合だが式守伊之助も相手を憎たらしく思っていたらキスをするなんて事はなかったろう。性的か人格的かはともかくなんらかの肯定的な価値を認めていたのではないか。だから同じハラスメントという言葉を使っているが、セクハラとパワハラでは中身が全然違うようだ。
両者に共通しているのは立場を不当に利用しているという点か。「いじめ」はパワーのある側が立場を利用して行うが、それをセクハラに認めてしまうと却って男女平等に反してしまう。それがカトリーヌ・ドゥヌーブの懸念事項のようだ。詳細は週刊新潮の本文記事をどうぞ。
因みにパワハラという言葉、広辞苑では第六版までなく第七版でようやく採用されている。概念としては忠臣蔵の頃からあったはずなのに。
0 件のコメント:
コメントを投稿