2018年2月27日火曜日

性差別

「バトルオブセックス」という映画がある。「性の戦い」とでも言おうか。(グーグルで検索したら「バトル・オブ・ザ・セクシーズ」となっていた。原語を忠実に発音するとそうなるかも知れないが日本人向けには「バトルオブセックス」の方が正しく伝わるように思う)
エマ・ストーンがビリー・ジーン・キングの役を演じるテニス界の実話を基にした映画である。女性が男性と同じ待遇を求めて争う、という話だ。詳しくは映画を見て頂くことにして、男性と女性とでは身体の構造が生物学的に異なる以上、どうしても扱いが異なるのはやむを得ない部分があるのは仕方ない事だと思う。特にスポーツでは骨格や筋肉の付き方が違うので、同じ土俵で戦ったらそれこそ不公平だと言われても仕方ない。囲碁や将棋の世界では女性にも男性と同じ機会が与えられているが、何故かまだ女性はその機会を生かし切れていないようだ。出雲の稲妻、里見女流名人も奨励会の厳しい枠を抜け出せていない。
そんな中、オリンピックを見ていて、唯一カーリングという競技だけは男女が同じ土俵で戦えるのではないかと思った。左程筋力が必要とされるとも思えない。骨格の頑丈さが勝負を決める事もなさそうだ。ならば男女が全く同じ条件で戦っても十分面白い展開が期待できるではないか。
ミックスダブルスという種目があるらしいが、そうではなく完璧に男女の差をなくす。あるチームは男女二名づつの構成で戦い、あるチームは男性一名女性三名の構成だったり、また中には女性だけのチームがあってもいい。完璧に男女が入り混じって同じ土俵で戦ったら、それこそが女性解放運動者の本望ではないだろうか。キング女史は一九四三年十一月生まれの七四歳、まだご健在のようだ。御意見を聞いてみたい。

2018年2月20日火曜日

盗難事件

四年前当コラム三五七回でもご登場願った新名神高速道路土山サービスエリアでの出来事
東京から京都に向かう夜行バスがトイレ休憩で止まったが、用を済ませてしばらく時間が経ってもなかなか出発しようとしない。不審に思っていると車内アナウンスが流れた。「盗難事件が発生しました。しばらくこちらで停車します。」
当初は誰かがトイレのどこかに財布でも置き忘れ無くした程度の事件かと思った。ならばもう窃盗犯はどこかに行方をくらましているだろうし、被害者には申し訳ないがそのためにバスの全員が迷惑を蒙る事もなかろう、などと苛立ちを感じる。そうこうするうちに実は不審人物がいてその人が財布を盗んだらしいとのアナウンスがあった。パトカーがやってきて、運転手らと何か話し始めた。停車してから一時間半も経っただろうか、一向にらちがあきそうにない事態の推移に苛立ちながら運転手に聞いた。「まさか被疑者がこのバスの中にいるわけではないでしょう。」と。だが答えは意外にも「実は・・・」
バスの外に出てみると、若い二人の男女が警察官の聞き取りに応じている。女性の方は泣きべそをかいているようだった。男性は堂々とした態度で、一見すると女性の同伴者で動揺する彼女を労わっているかとも見えた。まさか女性盗みを働くとも思えないが・・・男性はその後も何ら悪びれることなく一人で警察官と会話を交わす姿が見えた。
三時間経った頃ようやく捜査が終わったらしい。べそをかいていた女性が乗り込んできた。運転手の説明によると被疑者にはここで降車してもらい、運賃を後に払い戻すとの事。バス内に件の男性の姿はない。被害者は他にも二人いたらしい。夜間網棚のカバンを狙った犯行。女性は旅行の際、くれぐれもご注意あれ。

2018年2月13日火曜日

ロシア語

大学一年生の時、第三外国語としてロシア語をかじった事がある。文法などはすっかり忘れてしまったが、ロシア文字はまだいくらかは読めるので、先日一週間ほどロシアを旅行した際には随分助かった。
旅行してその地の看板を読むのは私のひそかな楽しみである。モスクワについてホテルに入り添乗員がチェックインを済ませる間、入り口近くの部屋の看板を見た。「PECTOPAH」と書かれている。それを見てハハーンと思った。レストランと書かれているのだ。案の定朝食はこの部屋で取ることになった。
ロシア文字はギリシャ語を想定すれば理解し易い。Pはρ(ロー)なので英語にすればRに相当する。CはΣが変化したものでSだ。Hは何故かNの発音になる。オリエント急行殺人事件では物的証拠としてHのイニシャルが刺繍されたハンカチが出てくる。最初ポアロはヘレンなどを想像するが、実はナターシャのものだったというオチがつく。
その他ΓはガンマでG、ЛはラムダでL、ΠはパイでP、ΦはファイでF、Иはイと発音する、Уはウと発音する、位を頭に入れておけばかなりの看板が読める。
例えば「ΦИTHEC KЛУБ」はフィットネスクラブ。街にかなりの数見受けた。ロシアは今減量ブームが起きているかも知れない。サンクトペテルブルクの中心街ネフスキー大通りを歩いていたら「ΓPANД ΠAЛAC」と書かれた立派な建物があった。ホテルグランドパレスだ。
ともかく、一番多く見た文字は「CTOΠ」という文字だ。交差点には必ずこの文字が見える。ご賢察の通りストップ。止まる、などの基本的な言葉は英語由来でなくロシア語本来の言葉があるはずなのにどうしてそれを使わないのか。もし日本の交差点で「止まれ」でなく「ストップ」と書かれていたら私は悲しい。いや怒りに燃えるだろう。

2018年2月6日火曜日

死に方

還暦が過ぎ、古希が近づいて来ると否が応でも死について考える。西部氏の計算し尽された立派な死は改めてその契機をもたらした。
週刊誌によると西部氏は拳銃による死も考えておられたとか。結局入手困難で諦めたとの事だが、もし入手出来ていたとしても、死体に傷がつく事や血の処理を家族に負わせたくない事からその死に方は選ばれなかったのではないだろうか。服毒自殺は考えられなかったのだろうか。入水自殺を選ぶにしても水温など時期を選ぶ事は考えられなかったのだろうか。いろんな事を想像してしまう。
死に方を考える際の評価基準は、出来るだけ苦しまないで死にたいと、残る家族に迷惑を掛けない、という二つのポイントがある。
理想的な死に方として巷間よく言われるにピンピンコロリという死に方がある。半年ほど前、テニス仲間がまさにピンピンコロリという死に方をした。玄関先で友人と次回のテニスの予定を話している最中に突然倒れそのまま亡くなった。元々心臓が弱い質だったらしい。実際にピンピンコロリの死に方に接してみると、果たしてそれが理想的な死に方か疑問に思う。少なくとも残された家族はたまらないだろう。そうと分かっていたら、あれもやりたかった、これもやりたかった、と悔いが残るに違いない。家族に迷惑を掛けない死に方とは思えない。
それからしばらくして別の友人のお父さんが百歳を超える天寿を全うして亡くなった。朝なかなか起きて来ないので心配した家族が寝室に行くと布団の中で亡くなっていたらしい。前の晩まで元気だったのに。百歳を超えればいつお迎えが来てもおかしくない。それなりの準備もそれとなくあったはずだ。やはり健康を維持し長生きして、家族がもう十分だと思うような頃、静かに死ぬのが理想だと思う。