2018年2月6日火曜日

死に方

還暦が過ぎ、古希が近づいて来ると否が応でも死について考える。西部氏の計算し尽された立派な死は改めてその契機をもたらした。
週刊誌によると西部氏は拳銃による死も考えておられたとか。結局入手困難で諦めたとの事だが、もし入手出来ていたとしても、死体に傷がつく事や血の処理を家族に負わせたくない事からその死に方は選ばれなかったのではないだろうか。服毒自殺は考えられなかったのだろうか。入水自殺を選ぶにしても水温など時期を選ぶ事は考えられなかったのだろうか。いろんな事を想像してしまう。
死に方を考える際の評価基準は、出来るだけ苦しまないで死にたいと、残る家族に迷惑を掛けない、という二つのポイントがある。
理想的な死に方として巷間よく言われるにピンピンコロリという死に方がある。半年ほど前、テニス仲間がまさにピンピンコロリという死に方をした。玄関先で友人と次回のテニスの予定を話している最中に突然倒れそのまま亡くなった。元々心臓が弱い質だったらしい。実際にピンピンコロリの死に方に接してみると、果たしてそれが理想的な死に方か疑問に思う。少なくとも残された家族はたまらないだろう。そうと分かっていたら、あれもやりたかった、これもやりたかった、と悔いが残るに違いない。家族に迷惑を掛けない死に方とは思えない。
それからしばらくして別の友人のお父さんが百歳を超える天寿を全うして亡くなった。朝なかなか起きて来ないので心配した家族が寝室に行くと布団の中で亡くなっていたらしい。前の晩まで元気だったのに。百歳を超えればいつお迎えが来てもおかしくない。それなりの準備もそれとなくあったはずだ。やはり健康を維持し長生きして、家族がもう十分だと思うような頃、静かに死ぬのが理想だと思う。

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