2018年4月24日火曜日

報道

シリアは一体どうなっているのだろうか。化学兵器の使用に関し、国連の調査を待たずに空爆に踏み切った米英仏をロシアが批難したが、そのロシアも調査を進める国連の決議案に対し拒否権を行使している。テレビに映る子供たちの苦しむ姿は限りなく痛ましいが、あれがどこまで真実なのか。かつてイラクでフセインの銅像を引き倒し歓喜する群集の姿が報道されたが、あのシーンもちょっと引いた広範囲の動画にすると周りは至極平静で、ごく一部の人々が意図的に騒いでいるかのようだった。
本当のところは実際に現地に行って見ないと分からないだろうがシリアにはとても行けない。せめてイランに行ってみようとツアーを申し込んだが一年以内にイスラエルに行った事のある人にはビザが下りないとの事で諦めた。二十七年前スタンフォードで同じ釜の飯を食ったシリアからの留学生タハ・ケードロはどうしているのだろうか。
報道された事をそのまま鵜呑みにする危険はロシアでも感じた。現地の人がゴルバチョフよりブレジネフの方を高く評価していたからだ。私の印象ではブレジネフは人々から自由を奪い抑圧した悪人で、ゴルバチョフは共産主義の軛から人々を解放した英雄のように思えたが逆の評価に愕然とした。市場主義経済への移行過程での経済的混乱がその背景にあるようだ。次のようなロシア小話がある。
ブッシュ大統領には百人の護衛がいるが、その内の一人は暗殺者だ。だがそれが誰かを大統領は知らない。ミッテラン大統領には百人の愛人がいるが、その内の一人はエイズに罹っている。だがそれが誰かを大統領は知らない。ゴルバチョフ大統領には百人の経済顧問がいるが、その内の一人だけが市場経済への移行のやり方を知っている。だがそれが誰かを大統領は知らない。

2018年4月17日火曜日

иKPA

二月十三日の当コラムをご記憶の方なら表題の文字を読めるはずだ。ロシア語で「イクラ」と読む。実はこれ、ロシア土産に買って帰ったキャビアの缶の上に書かれていた文字だ。これと並んで英語でCAVIARの文字がある。
こんな事を改めて持ち出したのは、実は先日都内で開かれていたある展示会で昔の駅弁のラベルを見たからである。函館線岩見沢駅で売られていたという駅弁の包み紙には「イクラ弁当」と大きな見出しがあって、折り返しの裏側に小さくイクラの説明がある。「ロシア語で本来は魚卵の意でありますが、鮭鱒の卵を塩蔵して食品としたもので、世界の珍味とされている「キャビア」(CABIA)(ママ)(チョウ鮫の卵)をまねたものであります。」と。
528日」とスランプが押してあるが、残念ながら年に関する情報がない。売価が二百円とあるのでそれから類推するしかなさそうだ。ともかく、この弁当が販売されていた頃日本人にとってまだイクラはそれほど一般的な食べ物ではなかったようだ。因みにロシアで買ったキャビアはほんの小さな缶に入って一万円もした。
同展示会では日本で初めての食堂車のメニューも紹介されていた。山陽鉄道が瀬戸内航路の汽船に対抗するため、明治三十二年に始めたものらしい。それを見ると西洋料理一人前の一等が七五銭、二等が五十銭、三等が三五銭、ビールはアサヒとキリンの大が二五銭、何故かサッポロの大は三五銭。金額の違いは量によるものなのか品質によるものなのか。ウィスキーは「ウスケ」と表記されて「壹本 金壹圓五十錢」となっている。
三江線が全線開通以来四十余年の歴史に幕を閉じた。何十年かの後、三江線にまつわる遺品を見て懐かしく思い出す日が来るのだろう。

2018年4月10日火曜日

閑話発題

表題は閑話休題の間違いではない。閑話(無駄話)は休題(それまでに)で、「それはさておき」と本題に入るのが閑話休題だが、春の長閑な日にたまには無駄話に興じて見ようと思ってひねり出してみた。
大坂なおみ選手がATP1000の大会で優勝した。錦織選手だってATP500でしか優勝した事がないはずだ。数字は優勝した時の獲得ポイントを示しており言わばその大会の格を表す。四大大会は2000、日本で最高の楽天オープンは500だ。その大坂選手のお母さんの名前は大坂環(タマキ)だそうだ。そうと分かったらなおさら大坂選手を応援しない訳にいかない。ちなみに楊貴妃の本名は楊玉環という。訓読みをしたらタマタマキだ。だからどうしたという事ではあるが。
平昌のフィギュアスケートで金メダルを取ったザギトワ選手が日本から送られた秋田犬の名前をマサルと決めたそうだ。こちらの方は何だか微妙な気持ち。
大谷選手の二刀流が輝き始めた。海外で日本の選手が活躍するのは嬉しいものだ。こうなったらベーブルースを抜くような記録を残して欲しい。でも二刀流で思い出すのは巨人の堀内恒夫投手だ。投手としてノーヒットノーランを達成したまさにその試合で打者として三打席連続ホームランを打ったのだから。まるで漫画のようなウソのような出来事ではあった。
駅前の百円ショップで温泉卵を作る小さな容器を見つけた。生卵を入れて少しの水をかぶせ五十秒電子レンジでチンすると見事な温泉卵が出来た。レタスにオニオンスライスを混ぜて生ハムを乗せ温泉卵を添えたら絶妙なつまみが出来た。冷蔵庫には吟醸酒が冷やしてあったはずだ。まだ陽は高いが庭の花でも愛でながら一杯やることにするか。ひねもすのたりのたりもたまには良いだろう。

2018年4月3日火曜日

制度と運用

モリカケ問題では忖度が横行し、その元凶として内閣人事局が槍玉にあげられている。官僚幹部の人事を握っているから要らざる忖度が生まれてしまうと。本当に本気でそんな事を思っているのだろうか。
十年前盛んに言われた言葉がある。「脱官僚」という言葉だ。行政の肝を官僚が握り、政治家は単なるお飾りに過ぎないような状況を変えなければいけない、という事だった。当時、人事院総裁のテレビインタビューを見ていたら「国民のため、たとえ政権が変わっても中立を保つ」と堂々と発言していた。「選挙で選ばれた政党が右だろうが左だろうが自分らのやりたいようにやる」と言っているように聞こえた。
そして「政権交代」と「脱官僚」を旗印に掲げた民主党が総選挙で勝利し、念願の政権交代を果たした。もう一つの念願である脱官僚はどうなったのだろう。
人事を掌握する事により政権の意図を無視できないようにする、というのはその第一歩ではないか。制度は決して悪くないはずだ。問題なのはそれを運用する人間の側にある。政権中枢が、おだててお仲間の便宜を図れば喜ぶだろうと、舐められているからいけないのだ。私利私欲を追うような、そんな下劣な人間ではないぞ、とはっきり態度で示せばよい。政権構想実現のためになした忖度は評価し、国益を害するような忖度は厳しく罰する、そういう姿勢を見せれば自ずから脱官僚・政治主導の姿が実現するはずだ。
ただ、そのためには政治家は明確なビジョン・政権構想を持ち、高潔な人格を備えていなくてはならない。それを今の政治家に求めるのは無理なのだろうか。たとえ制度の理想は高邁であっても、それが機能するためには運用する人間の質が問われるのは共産主義でも示された事ではあったのだが。