六月二日ビッグハート出雲で青山恵子さんのコンサートが開かれた。当コラムで一月三十日にご紹介したコンサートだ。満席の盛況で、早くから場所取り目的で並んでいた妹は「若い人は二階席でお願いします」と言われたらしい。(妹ももう還暦を過ぎてはいるのだが)
コンサートの内容は素晴らしく、歌は言うに及ばず、合間に話される西部邁氏の思い出話を絡めた語りが秀逸だった。コンサートの最後に客席の皆と一緒に「ふるさと」を合唱した。最後の八小節「山はあおきふるさと、水は清きふるさと」を繰り返したが、その頃には感無量になった私は胸が詰まり、涙が出そうになって最後の四小節は声にならなかった。
あおき山、清き水、にふるさとの有難みや父母の有難みが重なって、胸が一杯になってしまったのだ。恐らくそれは自然の森羅万象の中に神を見出す多神教の感情ではないだろうか。日本人は多神教を信じながら近代化を成し遂げた唯一の民族なのだそうだ。多神教と言うと未開部族の迷信やシャーマニズムを連想するが、一神教に比べてそんなに劣ったものなのか疑問に思う。
一神教の神様は「俺以外の神を信じるな」と言って、自分を信じない他民族を皆殺しにしろ、なんて言ったりする。(旧約聖書のエリコの大虐殺)そんな神様より、万物を寛容に受け入れ、道端の虫けらの命も粗末には扱わない多神教の神様の方がどれだけ我々を幸せにしてくれるか、答えは明らかだと思う。
そう言えば一神教の神は往々にして偶像崇拝を禁止する。まるで愛する人の写真を胸に大事にしまっておくのはけしからん、とでも言っているようだ。その意図が良く分からなかったが、多神教との比較において、なんとなく分かるような気がしてきた。長くなるのでまた別の機会にそれを述べる事にする。
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