オウム真理教関連の事件で死刑判決を受けた十三人全員の死刑が執行された。その多くは五十代、中には四十八の人もいる。恐らく彼等のご両親はまだ健在ではなかろうか。我が子の死刑の執行にどんな思いでおられるのだろう。
親が子を思う気持ちは、実際に子を持った者でないと分からない。子は自分の幸福のためなら親を踏み台にする事を躊躇わないが、親は自分の幸福を犠牲にしてでも子の幸福を願う。
オウム信者の多くは出家の際に親と衝突し、親の意見に逆らう形で出家している。その時にもうあの子はいないものと思った親もいるだろうが、しかしいざその死を目の当たりにすると様々な思いが去来するに違いない。まして洗脳から目を覚まし、過去を悔い、少しでも償いをしようとする我が子の姿を見たら、胸が張り裂けんばかりの気持ちだろう。皆入信前は優秀な自慢の息子だったのだから。
一方子から見た親はどうか。逆に死に臨んで彼等死刑囚の脳裏にそのご両親はどう浮かんだのだろう。親よりもむしろ松本死刑囚への恨みや思慕の方がより強かったのではないか。
哀しいかな親の子への思いはいつも片思いである。オウム関連死刑囚も子を持って見ればようやくその時、親達が自分をどう思っていたかを知ることが出来ただろうに。
私の父は母が亡くなって十年間一人暮らしをしていた。その父が死んだ時、遺品を整理しているとある手帳が出てきた。将来の予定がいろいろ記入されている中、私が定年を迎える年には「勝が帰ってくる」と書かれていた。一人暮らしの寂しさの中で私と一緒に暮らしたいと願っていたのだ。その思いも知らず、ああ僕は何と薄情だったのだろう。
今にして知りて悲しむ父母が
我にしまいしその片思い
窪田空穂