2018年7月17日火曜日

高山彦九郎


京都の三条大橋の東のたもとには、いかつい顔をした男が土下座のように御所の方向を望拝する大きな像がある。その像に刻まれた名前は高山彦九郎正之。一体どんな人なのだろうと疑問に思っていた。
先日群馬県太田市に行く機会があり、いろいろ調べるとそこは高山彦九郎の生地らしい。高山彦九郎宅跡、高山彦九郎記念館、高山神社と彼に関する史跡や施設が沢山あった。
今回改めて調べた所によると、江戸時代にいち早く尊王思想に目覚めた寛政の三奇人の一人。戦前の教科書には楠木正成と並んでよく登場したらしい。田沼時代から寛政の改革の頃活躍した人で、確かにその時代は朝廷に比べて幕府の力が圧倒的に強かった(光格天皇による尊号一件はその頃の事件)から、その時期に尊王を唱えるのは如何にも奇人と呼ぶにふさわしい。
幕末になって尊王の志士たちが活躍するようになると、改めて彼の生涯に注目が集まり、高山彦九郎記念館の近くにある彼の遺髪塚には高杉晋作や久坂玄瑞も参拝したそうだ。また彼の戒名は「松陰以白居士」で吉田松陰はここから名前を取ったとも言われている。
明治の初めには彼を祀る高山神社が創建された。太田市の中心部に程近い天神山にあるその神社に行って驚いた。平田の愛宕山ほどもあろうか、小高い山というより丘とも言うべき所にまっすぐ上に向かって階段が続いており、その頂上には立派な鳥居が見える。そこまで登れば鳥居の先に立派な社殿が待ち構えているはずだった。しかしそこには石造りの基壇があるばかり。基壇の中は黒い灰のようなものがある。社殿は四年前放火で焼失したとの事。こんな無残な風景に接するのは初めての経験だった。
因みに高山彦九郎は全国を旅し、出雲にも立ち寄っている。高山彦九郎日記に出雲がどう登場するのか興味がある。

0 件のコメント:

コメントを投稿