2019年2月26日火曜日

思いやり


「ひみつをまもりますので、しょうじきにこたえてください」この文言を見て、何と思いやりのない書き方だろうと思った。実際後になってこの約束も守られる事なく、悲劇を迎える事になるのだが。

思いやりがないと感じたのは、それが大人の言い方を平仮名にしただけで、子供の発想を弁えたものだと思えなかったからである。普段からあまり子供の立場で考えるという事をしていないのではないか。子供の思考パターンへの配慮があれば、例えば「だれにもいいませんから、ほんとうのことをかいてください」というような表現になるはずだと思う。

そう思ったのは以前長女の幼稚園の運動会に参加した時の経験があるからだ。水飲み場の水道栓に「しようきんし」と書かれた札がぶら下がっていた。漢字が読めないから平仮名なら幼児にも分かるとでも思ったのだろうか。「つかってはいけません」とか「つかわないでね」とかならせめても。それでも平仮名が読める事が前提で、本来なら水道栓を赤いビニールテープでぐるぐる巻きにしておくのが最善策だと思われた。

幼稚園児の気持ちを疑似体験した事もある。「たらちね」という落語を聞いた時だ。「こんちょうはどふうはげしゅうして、しょうさがんにゅうす」長屋に住む独身の男に大家さんが縁談を持ち込む。相手の娘さんは器量よしで生活道具も一式全て持ってくるという全く申し分がないのだが、唯一言葉が丁寧すぎて分からないという欠点がある。その女性が発した挨拶が先ほどの言葉、漢字で書けば「今朝は怒風激しゅうして、小砂眼入す」となる。

他人の立場を思いやるというのは極めて難しい。こうした経験を少しづつ糧にするしかない。「たらちね」なら「賤妾浅短にあって是れ学ばざれば勤たらんと欲す」と言った所か。

2019年2月19日火曜日

親と子


結愛ちゃんと心愛ちゃん、「愛」の文字を名前に持つ二人の少女が命を落とした。それも親からの虐待が原因で。愛と言えば親から子への愛こそもっとも確かなもののはずだ。結愛ちゃんの場合は再婚相手の連れ子だったという事情あろうが、心愛ちゃんを虐待したのは血を分けた実の父親だ。顔も良く似たところのある実の子に真冬の寒い夜に冷水シャワーを浴びせるなんて、どうすればそんな事ができるのだろうか。精神を病んでいたというのならともかく、転校先の校長の印象は「腰が低く、物言いも丁寧な保護者だった」、そして職場では温厚だったとか。もう訳が分からない。

警察は不作為を理由に母親も逮捕した。心愛ちゃんには一歳の妹がいると聞く。両親がいなくなりその子はどうしているのだろう。警察が親子の情を無視して、家庭の不和にそこまで踏み込んでもいいものだろうか。

親が子を思う気持ちは何よりも尊いものだと信じていたい。

池江璃花子選手の白血病のニュースにはただただ驚いた。そして思ったのは池江選手の御両親の事だった。容姿端麗性格明朗、非の打処のない文字通り世界一の自慢の娘が命をも危ぶまれる大病に罹患したら、おそらく本人以上に目の前が真っ暗になっただろう。それが親子というものだ。池江選手の回復を心から願ってやまない。
週刊文春最新号の池上彰氏の記事を見た。ベネズエラのインフレを取り上げて一千万%のインフレとは百円が十億円になる事だと書いてあった。百円が十億円になるのは一千万倍になる事だ。「%」と「倍」を同一に考えている。それは間違いではないか。ちょっと自信がなくなったが百%増は百倍とは違うので、先週の私の解釈が正しいはずだ。池上氏でも間違えるのだから大きい数字の%表記はやめた方が良いと改めて思った。

2019年2月12日火曜日

パーセント


「パーセント」(以下%)の「パー」は「・・・につき」で「セント」は「百」だから、直訳すれば「百につき」の意味になる。釈迦に説法だが、消費税八%とは百円の消費につき八円の消費税、日銀が目指す二%のインフレ率とは物価を対前年比で百円につき二円上げたいという事だ。%の数字も一桁程度なら直感的に理解できるのだが・・・。

政治的混乱が続く南米のベネズエラではインフレ率が170万%になったという。百%上昇なら二倍になる事だし、二百%上昇なら三倍になる事だ。要するにX%上昇とは「1+X/100」倍になる事を意味するから、これに当てはめるとベネズエラの物価は一年間で17001倍になったという事なのだろうか。おそらく最後の1は誤差範囲だろうから、凡そ一万七千倍になったと言う事なのだろう。

「率」という言葉を使うから「パーセント」という目盛りで表現したいのだろうが、ここまで来ると表現方法を見直した方が良いではないか。第一次世界大戦後のドイツのインフレでは物価が384億倍になったとも1兆倍になったとも言われる。もし1兆倍ならパーセントに拘れば百兆%のインフレだった、という事になる。パーセント表示に拘るのは数字を大きくして驚かせたいという意図でもあるのだろうか。
昔は五%程度あった普通預金の金利も最近は0.001%などと馬鹿にしたような数字になっている。こうなると百を基準にしても直感的に理解できないので、一円の利子を貰うために十万円の預金が必要だと考えた方が分かりやすい。一千万円の預金があっても一回の引落とし手数料(百円)で利子は飛んでしまう。こちらのパーセント表示は兎にも角にもちゃんと利子をつけてますよというアリバイに使われているような気がする。

2019年2月5日火曜日

化粧


全豪オープンで見せた大坂なおみ選手の強さは素晴らしかった。決勝で第二セットを奪われた後巻き返した強さは本物だ。男子決勝のジョコビッチも強かった。あのナダルを相手につけ入る隙を見せなかった。去年の全米の決勝も強かった。デルポトロも決して調子が悪いわけではなかったのに、その強打をことごとく打ち返したあの粘りを見ると、今やジョコビッチに敵なしと思われた。もうジョコビッチに勝てるのは大坂なおみしかいない!

その大坂選手だが、優勝後モダンデザインを思わせるワンピースを着て浜辺を歩く姿が放映された。大きなイヤリングをつけ、真っ赤な口紅を塗っている。化粧が過大ではないかと思ってしまった。当然ちゃんとしたスタイリストがついての事だろうから世間一般的にはそれが美しい姿なのだろうが、私からするとテニスをしている時の大坂選手の方がずっと素敵に見える。

「化粧」という言葉、明治以後の新しい言葉かと思ったが平安時代からあるらしい。そもそも化粧そのものが紀元前四千年頃すでにエジプトにはあったそうだ。美容院や香料工場があり、アイシャドー、頬紅なども揃っていたとか。クレオパトラは「眉毛と睫毛に墨を塗り、上瞼には暗青色を、下瞼にはナイルグリーンを使っていた」とある。クレオパトラの場合は政略的な必要性もあったろうが、過度な化粧には違和感を覚える。スキージャンプの髙梨沙羅選手の場合もそうだった。純情可憐な少女のイメージが厚い化粧で崩れてしまった時には本当にがっかりした。
必要以上の化粧は刺青にも似て、元の体を傷つけるに等しいのではないか。「身体髪膚これを父母に受く敢えて毀傷せざるは孝の始めなり」西安の碑林博物館で目にしたこの言葉の「膚」にはそういう意味合いもありそうだ。