2019年2月5日火曜日

化粧


全豪オープンで見せた大坂なおみ選手の強さは素晴らしかった。決勝で第二セットを奪われた後巻き返した強さは本物だ。男子決勝のジョコビッチも強かった。あのナダルを相手につけ入る隙を見せなかった。去年の全米の決勝も強かった。デルポトロも決して調子が悪いわけではなかったのに、その強打をことごとく打ち返したあの粘りを見ると、今やジョコビッチに敵なしと思われた。もうジョコビッチに勝てるのは大坂なおみしかいない!

その大坂選手だが、優勝後モダンデザインを思わせるワンピースを着て浜辺を歩く姿が放映された。大きなイヤリングをつけ、真っ赤な口紅を塗っている。化粧が過大ではないかと思ってしまった。当然ちゃんとしたスタイリストがついての事だろうから世間一般的にはそれが美しい姿なのだろうが、私からするとテニスをしている時の大坂選手の方がずっと素敵に見える。

「化粧」という言葉、明治以後の新しい言葉かと思ったが平安時代からあるらしい。そもそも化粧そのものが紀元前四千年頃すでにエジプトにはあったそうだ。美容院や香料工場があり、アイシャドー、頬紅なども揃っていたとか。クレオパトラは「眉毛と睫毛に墨を塗り、上瞼には暗青色を、下瞼にはナイルグリーンを使っていた」とある。クレオパトラの場合は政略的な必要性もあったろうが、過度な化粧には違和感を覚える。スキージャンプの髙梨沙羅選手の場合もそうだった。純情可憐な少女のイメージが厚い化粧で崩れてしまった時には本当にがっかりした。
必要以上の化粧は刺青にも似て、元の体を傷つけるに等しいのではないか。「身体髪膚これを父母に受く敢えて毀傷せざるは孝の始めなり」西安の碑林博物館で目にしたこの言葉の「膚」にはそういう意味合いもありそうだ。

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