2019年5月28日火曜日

消費税


消費税10%を延期する可能性に言及して政治家が国民の反応を見る観測気球を上げたり、何としても10%にしたい官僚側はGDPの年間成長率が2.1%にもなるという統計を出したり。政府の発表する統計は何らかの意図が裏にあると見た方が良さそうだし。そんな中「脱税の世界史」という面白い本を図書館で見つけた。奥付を見ると201952日第一刷発行とあるからできたてのほやほやだ。

著者は元国税庁調査官だそうで、税の歴史にも詳しそうだ。「民が疲弊しないように効率的に徴税し、それをまた効率的に国家建設に生かす」事が国が隆盛するための絶対条件で、世界史に登場する強国、大国というのはどこも優れた税制を持っていた、という意見には納得する。古代エジプトから始まってGAFAの逃税スキームまでを題材に一貫した著者の主張は富裕層からちゃんと税金を取れ、という事になろうか。

国家が隆盛するときというのは富裕層がちゃんと税金を払っている時であり、国が長く続くと必ずといっていいほど富裕層がいろんな手を使って税を逃れるようになる。すると国は貧しい者から多くの税を徴収するようになり、国が乱れ崩壊していく、と著者は言う。そして日本の現状を憂える。日本では昨今高額所得者や大企業からまともに税金が取れなくなりつつあり、大企業、富裕層の税金は大幅に下げられている。その一方で庶民に負担の大きい消費税が導入され税率がどんどん上げられている。消費税の逆累進性は昔から指摘されている事だ。それが増えるのは国が危うくなる前兆だというのだ。

ただ気になるのは著者が「オスマン・トルコ」という言葉を使っている事。この言葉を使う人は中東史に素養がない人だそうだ。その事についてはまた別の機会に。

2019年5月21日火曜日

自然


立夏が過ぎて今日五月二十一日は二十四節気の小満にあたる。広辞苑には「草木が周囲に満ち始める意」とあり、確かに周りに緑が溢れてきた。四月初めに大勢の人で賑わった桜並木は青葉が陽光を反射している。テニスコート脇の木は、去年の今頃丸裸に刈り取られ大丈夫かと心配したが、今では全体が葉で覆われた。

二十四節気をさらに細分化した七十二候を見ると立夏から小満にかけては「蛙始鳴(蛙が鳴き始める)」「蚯蚓出(ミミズが地上に這い出る)」「竹笋生(タケノコが生えてくる)」「蚕起食桑(蚕が桑を盛んに食べ始める)」「紅花栄(紅花が盛んに咲く)「麦秋至(麦が熟し麦秋となる)」がある。散歩道にはポピーの赤い花が咲き、麦畑の豊かな実りを見ると改めて自然は正直だなあと感心する。温暖化の危機が叫ばれるがまだまだ七十二候が狂うまでには至ってないようだ。

七十二候は中国で紀元前三世紀ごろ完備したという。日本もこれを輸入し、しかし気候が必ずしも一致せず、動物植物にも多少の違いがあるため日本独自の本朝七十二候が江戸時代に作られたらしい。例えば本場中国の「王瓜生(カラスウリの実が生り始める)」を日本は「竹笋生」としている。
自然には感心もさせられるし不思議にも思う事がある。花の散り方も不思議の一つ。桜は見事なまでに潔い散り方をするが、クチナシの花は白い花が茶色になっても散らずに頑張るそうだ。バラだって末期の姿を見ると心が痛む。それぞれに事情や言い分があって、合理的で最適な道を選んでの結果なのだろう。桜は別に人間に散り際の美学を教えようとしている訳ではなかろうし。花の一番の使命である受粉と関係あるのだろうが良く解らない。子供の頃こんな疑問を持てばもっと生物を勉強したのになあ。

2019年5月14日火曜日

安全運転


痛ましい交通事故が絶えない。交通事故は一旦起きてしまうと加害者被害者双方を不幸のどん底に突き落とす。もし時計を巻き戻して事故前の状態に戻ることが出来るなら全財産を擲っても構わないと当事者になったら思うだろう。

息子が運転免許を取った頃の事を思い出す。免許取得後一、二か月経って、家族旅行の際息子がハンドルを握る事になった。その時思わず出た言葉が「いいか、運転をなめちゃいかんぞ、絶対に」だった。少し運転に慣れて、ついつい自分の技術を過信し気が緩む事を心配しての事だった。

車の運転でいつも不思議に思うのは、どうして不必要にスピードを出したりするのかという事である。車の運転に関しては珍しく安全性と経済性が二律背反の関係にないからだ。普通はどちらかどちらを選ばないといけない。広くて立派な家に住みたいが家賃が高い。通勤に便利な場所に住みたければ広さを諦めなければならない。広くて便利で安い住まいがあれば良いが通常は快適性、利便性、経済性が二律どころか三律も四律も背反する。ところが車の運転は安全な運転が経済的でもあるというのだから、それを選ばない理由がないではないか。経済的だがちょっと危険だとか、安全運転が高くつくというのなら迷いもしようが。

だから運転する時は絶対に急発進、急ブレーキ、急ハンドルはしない。ジワーっと発進して、遠くの信号が赤になったらアクセルを外し、ジワーっと止まる事を心がける。混雑は嫌いだが、後ろから来た車が追い越してくれるとホッとする。幸いこうした私の運転方針は息子にも伝授されたようで、息子は燃費効率を表す計器を見ては「俺の方が親父より燃費の良い走りをしているぞ」とか挑戦的に自慢する。
上手な運転とは事故を起こさない運転の事、そうですよね。

2019年5月7日火曜日

フールプルーフ


数十年前、腕時計の文字盤にはwaterproofという文字があった。今では当たり前の防水性能を示すものだった。英英辞典を見ると「-proof」で「前に書かれたものから損傷を受けない性質を表す」とある。

waterの替わりにfoolつまり「馬鹿」を入れると「馬鹿よけ」とでも言おうか、機械などを設計する際の基本的な考え方の一つで「利用者が操作や取り扱い方を誤っても危険が生じない、あるいは、そもそも誤った操作や危険な使い方ができないような構造や仕掛けを設計段階で組み込むこと。また、そのような仕組みや構造。」(IT用語辞典)を示す。

例えば電子レンジはドアが完全に閉まっていないとスイッチが入らないように出来ているし、ウォッシュレットは人が便座に座っていないと水が出てこない。自動車でもギアがパーキングに入っていないとエンジンが掛からないようになっているが、ブレーキとアクセルの踏み間違いに対する対策が全く出来ていないのは不思議を通り越して義憤さえ感じる。

高齢者によるアクセルの踏み間違いによる事故が報告される度に高齢者の認知能力が問題にされるが、もっと問題にされるべきはアクセルとブレーキが隣合わせにある構造自体であろう。フールプルーフの考えからすれば緊急時に脚を突っ張れば必ずブレーキが作動するような構造にすべきだ。

数年前テレビで某地方都市の鉄工所の社長が考え出した装置が紹介された。既存のアクセルに取り付け、踏み間違いを予防するものだ。右足首を右側に捻るように倒してアクセルを吹かし、脚を突っ張ってもアクセルは動かない。すぐにでも全車に装備すべきではないかと思ったが、その後何の動きもなかった。

フールプルーフは自動車産業の得意技のはず。何とかして欲しい。