2019年6月25日火曜日

色々


今週はいろんな事があってどれも十分に一回分の話題足り得るが、鮮度が落ちない内に備忘録的に全部を取り上げる。後日個別に深く掘り下げてみたい。

まずは金融庁の審議会が出した報告書。担当の麻生大臣は受け取らないそうだ。その理由が「国民に不安を与えるから」だとか。どこかで聞いたような気がする。そして忌まわしい記憶が蘇る。第二次世界大戦、負けが濃厚になっていく中、大本営は国民に不安を与えまいとしてか戦局を正確に伝えようとしなかった。大切なのは事態を正確に把握し冷静に対策を練って実行する事であるはずなのに、自分に不都合な事実に目をつむり、精神論を振りかざす。今も昔も日本のリーダーのやる事は同じなのか。軍事の破綻と年金の破綻、同じ運命をたどらない事を祈る。

警察の失態が続く。警察官なら誰も武術の心得があるものと思っていたがそうではないのか。胸を刺されて重篤となった警官はお気の毒だったが、しかし抜き身の刀で暴れまわる相手に素手で立ち向かって退治した水戸黄門の助さん格さんとまではいかなくても、相応の武術の心得はなかったのか。刃物に腰が引けて七人もいて取り逃がす失態もあった。一定の危険が予想される場面に拳銃を携帯していなかったのも不思議だし、逆に通常の交番業務で常に拳銃を携帯する必要があるのかも不思議だ。盗難予防のためにも拳銃を携帯するのは一定以上の武術を身に着けた人だけにして欲しい。

そしてホルムズ海峡がきな臭い。「主戦場」という映画を見た。従軍慰安婦をテーマにしたものだが、その最後のナレーションが耳に残った。「安倍政権は再軍備を急いでいる。日本人に聞きたい。このままではいつかアメリカが始めた戦争で日本人が血を流す事になるが、その覚悟は出来てますか」

2019年6月18日火曜日

看板と中身


最近「刑事フォイル」という海外ドラマにはまっている。原題を直訳すれば「フォイルの戦争」となるが、ドラマは第二次大戦の頃のイギリスが舞台で、当時の世相が垣間見れて興味をそそる。その中の一話で殺人事件現場の遺留品の中に著名作家の彫刻が含まれていたのを警察が他のガラクタと一緒に扱っていたというシーンがあった。ちゃんと看板が掛かってないと中身の価値をちゃんと判断できないのは素人の悲しさか。

アマチュア画家、と言ったら失礼だろうか、ともかく絵で生計を立てるのでなく、趣味で絵を描いている人達の作品を集めた展示会が二か月程前上野であった。島根県からも数人の作品が選ばれて、中には私の知り合いもいたのでその出来栄えを見に行ってみた。そしてその質の高さに驚いた。描いた人の名前を隠して、有名画家の絵と混在して展示してあったら、全部を区別する自信は私にはない。

そういえば昔桑原武夫だったか、第二芸術論というのがあった。小学生の作った俳句と有名な俳人の作品とをごっちゃにして並べ、どれが小学生のものかを当てて見ろ、というのだった。どっちがどっちか分からないようなら所詮俳句などは第二芸術と言うしかない、という論法だったと記憶する。だとすると油絵も第二芸術になってしまうのか。
自分の審美眼の無さを白状するようで恥ずかしいが、マドリードのソフィア王妃芸術センターで見たピカソのゲルニカは何分見てもその良さが分からなかった。もしこれがピカソの作品だという看板がなかったら一顧だにしなかったのではないか。それでも分からないものを分かったふりをするよりましだと思っている。負け惜しみを言う訳じゃないけどエルミタージュ美術館の新館で見たマチスの絵は良かったなあ。

2019年6月17日月曜日

2019年6月11日火曜日

全仏テニス


一度でいいから錦織選手にグランドスラムのタイトルを取って貰いたいという願いが今回も叶わなかった。ベスト4に残った選手達の超人的なプレーを見ていると、その壁の厚さを嫌というほど感じてしまう。こんな凄い動きをする選手が今後現れるのだろうかとさえ思うが、きっともっと凄い人が出てくるのだろう。

そう思う程テニスの進歩は目覚ましい。三十年前の全仏の決勝戦のビデオを見た。時は一九八九年、現在錦織選手のコーチを務めるマイケル・チャンがエドバーグを倒し十七歳最年少で全仏を制した試合だ。ラケットはもう今のような所謂デカラケになっているが、二人が打ち合う球の速さを見ると現在の女子の試合を見ているようだ。三十年前はその凄さに目を見張ったのに。

数あるスポーツの中でテニス程進歩や変化の激しいものはないのではないか。一九七〇年頃のロッド・レーバーやケン・ローズウォールのテニスを見ると、我々素人でも頑張れば何とか対抗できるのではないかと思ってしまうし、戦前になるがフレッド・ペリーなどの試合は半分遊んでいるのではないかと錯覚さえする。服装もサラリーマンが上着を脱いだような格好で、長いズボンにワイシャツでプレーしている。

それにしても三十年の時間は大きい。マイケル・チャンが獲得した優勝賞金は四千二百万円、それでもその五年前の倍の金額だったそうだ。それが今では二億八千万円。日本のGDPはこの三十年ずっと止まったままなのに。それもそのはず、マイケル・チャンの肩には三菱のエンブレムがあり、エドバーグの袖にはFUJIのマークがついている。日本企業が幅を利かせていた時代だった。大会で時計を提供しているのも今年はロレックスだが、三十年前はセイコーだった。ああ、この三十年。

2019年6月4日火曜日

トルコ


トルコは海外旅行の穴場と言っていいのではないか。

第一に安い。十日間の旅行で十万円ちょっと、国内旅行より安いくらいだ。第二に料理がうまい。中華料理、フランス料理と並んで世界三大料理の一つがトルコ料理である事をトルコに行って初めて知った。パンも日本人好みで白く柔らかい。イスラム国だがお酒も飲める。第三に親日的だ。明治中期、和歌山県沖で座礁したトルコの軍艦エルトゥールル号の乗組員を地元の住民が救った事件を契機にトルコ国民の対日感情が良くなった。イラン・イラク戦争の時の日本人救出も記憶に新しい。第四にカッパドキアの奇岩などの自然や、古代ギリシャの遺跡やキリスト教とイスラム教の融合など見どころ一杯だ。そして第五に美人が多い。ギリシャとの混血もあるのだろうが、イズミールなど美人の宝庫。私が参加したパック旅行の現地ガイド、ミューゲも可愛かった。イスタンブールのブルーモスクの前でツーショットを撮った時はにっこり笑って私の肩に頭を預けてくれ、私は思い切り鼻の下を伸ばしたのだった。
その現代トルコの礎を築いたケマル・アタチュルクがトルコに誇りと自負を取り戻すまでトルコという言葉には否定的ニュアンスがあった。第一次大戦の敗戦で崩壊したオスマン帝国は元々トルコ系の人々が樹立した国だったが、歴代スルタンは異教徒異民族を寛容に受け入れ実態は多民族国家だった。国家を支えるエリートの多くはバルカン半島出身のキリスト教徒だったそうで、彼らは田舎臭い意味合いのある「オスマン・トルコ」と呼ばれるのを嫌ったらしい。そしてヨーロッパ人は敢えてオスマン・トルコと呼んだ。だから今オスマン・トルコという言葉を使うのはそういう事情を知らない素養のない人か誠意のない人だという事になる。