2019年6月18日火曜日

看板と中身


最近「刑事フォイル」という海外ドラマにはまっている。原題を直訳すれば「フォイルの戦争」となるが、ドラマは第二次大戦の頃のイギリスが舞台で、当時の世相が垣間見れて興味をそそる。その中の一話で殺人事件現場の遺留品の中に著名作家の彫刻が含まれていたのを警察が他のガラクタと一緒に扱っていたというシーンがあった。ちゃんと看板が掛かってないと中身の価値をちゃんと判断できないのは素人の悲しさか。

アマチュア画家、と言ったら失礼だろうか、ともかく絵で生計を立てるのでなく、趣味で絵を描いている人達の作品を集めた展示会が二か月程前上野であった。島根県からも数人の作品が選ばれて、中には私の知り合いもいたのでその出来栄えを見に行ってみた。そしてその質の高さに驚いた。描いた人の名前を隠して、有名画家の絵と混在して展示してあったら、全部を区別する自信は私にはない。

そういえば昔桑原武夫だったか、第二芸術論というのがあった。小学生の作った俳句と有名な俳人の作品とをごっちゃにして並べ、どれが小学生のものかを当てて見ろ、というのだった。どっちがどっちか分からないようなら所詮俳句などは第二芸術と言うしかない、という論法だったと記憶する。だとすると油絵も第二芸術になってしまうのか。
自分の審美眼の無さを白状するようで恥ずかしいが、マドリードのソフィア王妃芸術センターで見たピカソのゲルニカは何分見てもその良さが分からなかった。もしこれがピカソの作品だという看板がなかったら一顧だにしなかったのではないか。それでも分からないものを分かったふりをするよりましだと思っている。負け惜しみを言う訳じゃないけどエルミタージュ美術館の新館で見たマチスの絵は良かったなあ。

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