2019年8月27日火曜日

あおり運転


後に車がいるのが分かっていて敢えて蛇行運転をしたり、高速道路の真ん中に停車して後続車の妨害をしたり、全く理解に苦しむ馬鹿な運転を「あおり運転」と呼ぶ事に首を傾げた。私の語感で「あおり運転」とは、後から「早く行け」と急き立てるような運転の事だと思っていたから。

広辞苑で「あおる(煽る)」を引くと、①風や火の勢いで物を動かす、②物を前に進めようと手や足を動かす、③そそのかす、扇動する、④鐙で障泥(あおり)を蹴って馬を急がせる、⑤写真撮影で低い位置からカメラを上向きにする、⑥大手筋が相場を高騰させるために大量の買付をする、等の説明がある。文脈からして「あおり運転」の「あおる」は④に相当するのだろう。だとするとやっぱり今回のは危険運転とか妨害運転と呼ぶのが相応しいのではないだろうか。

あの事件でもう一つ語感で違和感を持ったのは「高級車」という言葉だった。確かに高価格車である事は認めよう。だが高価格である事即ち高級だと言われると金を全ての価値基準とするトランプさんみたいで嫌だ。特にあんな下品な運転を見せつけられると。私が出雲で乗っている1200㏄の国産車は残念ながら決して他人から高級車と呼ばれる事はないが、私は感謝を込めて「お前は立派だよ」と労ってあげたい。老体に鞭打って兎に角良く走ってくれる。
不思議なのはああした下品な運転をする人が決まって所謂「高級車」に乗っている事だ。あんな運転をすれば接触事故を起こす事だってあるだろうし、修理費を考えれば安い車でやった方が良かろうに。虎の威を借るネズミをみっともないと思わないのか。低価格車に乗ってあんな威圧的な態度に出るのならちょっとは見直してあげてもいいが・・・いや、それでも決して見直す事はないなあ。

2019年8月20日火曜日

表現の不自由


愛知トリエンナーレ「表現の不自由」展を巡っての一連の報道はいろんな事を考えさせてくれた。表現の自由と公権力による検閲の関係、税金と文化事業の関連、自由と責任の関係、等々。

所謂リベラルを自認する人達は名古屋市長の対応に批判的で、中には憲法を勉強し直すべきだなどとの暴言も出たが、却ってそれは彼等の浅薄さを思わせた。個人的に河村市長にシンパシーを感じているからかも知れない。河村市長の「民間企業が良い製品・サービスをいかに安く提供するかに腐心しているように、政治はいかに税金を安くするか努力すべきだ」という主張は本当にその通りだと思う。そういう真っ当な事を言う人がいないのは政治が税金を食い物にしている人達の利益を代表しているからとしか思えない。

今回の展覧会も税金が一つのキーワードではないか。従軍慰安婦を思わせる少女像や、誰が見ても昭和天皇のものと思われる顔写真を燃やして脚で踏みつけるような映像など、もしそれをある個人乃至私的団体が自分の資金と責任において展示するというのならその自由を誰も束縛する事は出来ないだろう。展示するのも自由だし、そういうあまり愉快ではない作品を見ないのも自由だ。(小学生に無理矢理見せたりして、いわゆる見ない自由もない国もある。)だが、今回は税金の補助を受け主催は愛知県だ。主催者である納税者がこんな展示はしたくないと言えば、中止するのも自由ではないか。中止「させる」のは検閲に当たろうが、中止「する」のは自由なはず。
表現の自由が許される範囲は表現者が責任を取れる範囲でと思う。あの展覧会をプロヂューサーが自己責任で主催するというのならどうぞご自由に、資金も会場も自分の手配で。責任に裏打ちされない自由は無銭飲食に等しいと思う。

2019年8月18日日曜日

米子城

米子城、良かった。石垣しか残っていないが、天守跡からは大山や米子市内が一望できる。

2019年8月13日火曜日

夏の甲子園


読売新聞の編集手帳に夏の甲子園について書かれていた。意外だったのは今年の大会は百一回目だが、甲子園球場は完成から今年で九十五年目だとの事。調べてみたら会場は豊中球場や鳴尾球場などを経て第十回大会から阪神甲子園球場が使われるようになったようだ。途中戦争で四回中止になっているから95+10-4101で帳尻が合う。

さて編集手帳には三十年前アメリカのジャーナリストが書いた文章が紹介してあった。「甲子園は日本人にとってきわめて象徴的なイベントだ。伝統行事の少なくなった今、郷土心をかきたてる数少ない行事の一つ」と。

三十年前ならそうだったかも知れない。だが、今はどうだろう。七月に帰省した時、丁度島根県大会の準決勝・出雲高校対開星高校戦がテレビ放映されていた。各打者が打席に入るとその選手の成績と同時に出身中学が表示された。出雲高校の選手は平田中学、斐川東中学、佐田中学等々全ての選手が地元の中学の出身者、一方の開星高校の選手は大坂や兵庫の中学の出身者が多かった。翌日の決勝戦も見たが、石見智翠館高校も開星高校と同様だった。そういう事はうすうす聞いてはいたが、改めて実態を突き付けられると「郷土心をかきたてられる」雰囲気にはなれない。

出場校を地元の代表と感じるためには、プロ野球で外人枠が制限されているように、出身中学に一定の制限を加えた方が良いのではないだろうか。それが出来ないならせめて本番の大会でも選手紹介の時に出身中学を表記して欲しい。あの田中将大投手は北海道の代表として甲子園に出場したが中学は兵庫県の伊丹市立松崎中学校だし、彼と優勝を争った斎藤投手は逆に群馬県太田市立生品中学を出て東京代表として出場している。中学の地元の人達は彼等をどんな思いで見ているか。

2019年8月6日火曜日

イラン


テヘランやイスファハーンなどイランには是非一度行ってみたい都市がある。一年程前、イランを巡るパック旅行があったので申し込んでみた。だが、その時はまだイスラエルへ行って間もない頃で、一年以内にイスラエルへの渡航履歴がある人は入国を拒否される可能性が高いとの事で諦めざるを得なかった。少し時を置いて申し込もうと思ったが、昨今いくら探してもイランへ行くパック旅行は見当たらない。

こうなったのもトランプ大統領が変ないちゃもんをつけ出したからだ。それまで核合意の元、平穏だったのに昨今急にきな臭くなってきた。有志連合なんて言葉も飛び交っているが、日本政府には武力行使につながる事態は絶対に避けて欲しい。

そもそも日本はイランの友好国だ。イギリスやアメリカとは立場が違う。首脳同士の話し合いも出来るのだから、是非外交努力で局面の打開を図って欲しいものだ。憲法第九条も「国際紛争を解決する手段として戦争、武力による威嚇、武力の行使は永久に放棄する。」と明記しているではないか。

実は日本がこうした憲法を持っている事を外国の人は殆ど知らない。それは日本人がアメリカやドイツの憲法を知らないのと同じだ。湾岸戦争の時、日本はお金は出したが人的貢献をしなかったと国際的非難を浴びた。スタンフォード大学で知り合ったフランス人留学生も同じだったが、私が「日本は憲法が禁じているから派兵は出来ないのだ」と説明すると驚いたような様子で納得した。
日本は、日本人は、平和憲法があるから国外での武力行使が出来ないという事をもっと世界に知らしめるべきだ。そしてお宅の国も世界平和のため自国外での武力行使を放棄しませんか、と。核拡散防止条約には反対する日本だが、平和憲法拡散に一役買ったらどうだろうか。

2019年8月5日月曜日

県境の不思議(続き2)


現地にはこんな看板が。かつてここが川の合流地点だったのだ。でも測量技術も未熟だったろうに、よく場所が特定できたものだと感心する。

県境の不思議(続き)

現地はこんな感じ。一体どういう経緯でここが県境になったのか?不思議、不思議。

県境の不思議

県境とは川や山の峰等ばかりだと思っていた。しかし、埼玉、栃木、群馬の県境は田んぼのど真ん中にある。しかも県境の線自体が摩訶不思議ではないか。