2019年9月24日火曜日

有刺鉄線


有刺鉄線、それが今の経済の在り方に大きな影響を与えた産物であると言ったら首を傾げる人が多いのではないだろうか。でもこの本を読むと「成程!」と思えて来る。「50-いまの経済をつくったモノ-」著者は長年フィナンシャル・タイムズ紙でコラムを連載してきた人らしい。一番の「プラウ(犂・スキ)」から五十番の「電球」まで、人類の経済活動を左右したモノを独特の切り口で取り上げ論評している。今ようやく十番「冷凍食品」を読み終えたところだが、間違いなくこの本は今年出会った本で一番面白かった中の一つに数えられるだろう。

さて有刺鉄線が発明されたのはアメリカが西部に向けて発展をしようとしている頃だった。リンカーン大統領は開発促進のためホームステッド法を制定し、未開拓の地に家を建てて五年耕作しさえすればその土地が自分のものになる、とした。だがここで問題はアメリカの西部には何キロメートルもの柵を作るだけの木材がない事だった。有刺鉄線はこの問題を解決した。それは所有と私有財産の概念を再認識させた。

そして現在。「経済のさまざまな領域で、理論上所有するものを実際に所有するための激しい闘いが繰り広げられている。(原著引用)」例えば音楽の世界。ハッカーや海賊版業者は著作権者が本来所有する楽曲を無料で配布し利益を得ようとしている。ここでは本来の所有者が所有するものを他から守るデジタル有刺鉄線が必要とされている、と著者は言う。そしてその有刺鉄線は未だ発明されていない、と。その発明はおそらく巨額の富を生むだろう。有刺鉄線の発明者グリッデンを億万長者にしたように。
以下は私見だが、いつか環境問題がこじれると、空気を囲い込む有刺鉄線までが必要になるのではないかと危惧してしまうのである。

2019年9月17日火曜日

災害


二日前までクーラーなしでは眠れない暑さだったのに、昨夜は薄手の毛布が欲しくなる程だった。朝の寒さの中で羽織るものを手繰り寄せて暖を取る幸せは、寂しさの中で愛情と出会った喜びに似て至高のものだと思っているが、被災地はどんな様子なのだろうか。

大きな災害が起こるたびに、もし自分だったらと考えてしまう。そして自分が被害に遭わなかった事を神に感謝したくなる。四日も五日も電気が来ない生活はどんなに辛いだろう。しかもあの暑さの中で。電気や水道が当り前の生活の脆弱さを改めて思う。

一定量の雨水を溜めて置く水槽を各家が常備すればトイレの洗浄くらいには使えるだろう。各地の公民館に一つは井戸と簡単な濾過浄水設備を設けておけば最低限の生活用水が確保できるだろう。

電気に関してはかつてもう十年以上も前になるが、盛んにスマートグリッドという事が話題になったのに、今回その言葉が全く聞かれないのはどうしてか。インターネットのように仮にどこかが破断されても迂回路を経由して全体として機能するような設計も末端の破損には役に立たないのだろうか。そう言えばインターネットも二万戸で使えなくなったとか。

それにしても強風によってかくも簡単に電柱や送電用の鉄塔が倒壊するとは。高圧の送電線はともかく、各戸に配電される線は他のライフラインと共に共同溝として地下化するべきではないか。東日本大震災の時、原子力発電所の非常用電源が水没して用をなさず大惨事を招いた。あの時非常用電源を地下に置いたのは、アメリカの原子力発電所がハリケーンによる風害から守るためにそうしていたのを単純に真似たせいだと聞いた。非常用電源を丘の上に置いておけば良かったのに、そして今回は配電線を地下に置いておけば良かったのに。

2019年9月10日火曜日

死とは何か


都心の某大手書店で平積みされていた本が眼を惹いた。「死」とは何か。傍らに「イェール大学で23年連続の人気講義」とある。パラパラと中を捲ってみると中々面白そうだ。家に帰って早速図書館の蔵書を検索し、予約を入れた。待つ事数か月、ようやく順番が回ってきて本を手にして奥付を見ると20181010日初版発行で2018116日には第四刷が出ている。図書館の予約の多さと言い、人気抜群のベストセラーと言って良さそうだ。

それにしてもこの頃近場の本屋が次々に姿を消している。駅前の本屋も市街地商店街の本屋も。本棚に並んだ本を当てもなく眺めて、自分にフィットしそうな本を探す楽しみは今や図書館でしか味わえなくなってしまった。しかしそれでは最新のトレンドを追う事が出来ない。最低でも月に一回は新刊本がずらっと並んだ本棚をブラブラと散策したいものだ。

アマゾンは本の流通を根本的に変えてしまった。その便利さは認めるが、既存の本屋を窮地に追いやってしまった罪はどう償ってくれるのか。ネット通販各社は消費者に実物商品を展示する意味でも、人口五万人当たり最低一店舗程度を構えるべきではないかと思うがどうか。

さて、「死」とは何か。ここで僅かな字数で語るような内容ではないが、著者の言わんとするところは、死を恐れるのは不当だ、何故なら死は悪いものではないから。むしろ不死こそが悪いのである、というような事になろうか。余命いくばくもないと宣告された学生が熱心にこの講義を聞いていたらしいが、どんな気持ちで聴講していただろう。

私には疑問が多く残る内容だったが、「人生はやることがあまりに多くて適切にやることがあまりに難しいからこそ、用心しなければならない。」の一節だけは身に染みた。

2019年9月6日金曜日

さきたま古墳群と忍城


さきたま古墳公園へ行ってみました。
丸墓山古墳はかつて石田三成が忍城攻略の際、本陣を置いた場所だとか。
古墳につながる桜並木(軽トラックが止まっているところ)はかつての石田堤の跡。ここから右側が水攻めの対象となった訳。
古墳の上に登ってみると、再建された忍城を遠くに見る事が出来ます。
ここらあたり一帯が水に沈んだんだなあ。

2019年9月3日火曜日

金持ちと税金


来年度予算の概算要求が過去最大になるらしい。国家予算はどんどん大きくなり、政府はまるで大金持ちにでもなったかのように税金を使う。そしてその蜜を求めて多くの蟻がたかり、財政赤字などどこ吹く風だ。税金の使い方はこれでいいのか。

防災、公共インフラ整備、最低限の社会保障等の分野に税金が使われるのはまあ異論はないだろう。だが生活に直接関係のない、例えば書画骨董を集めるなどはどうか。事業に成功して財を成した人が余生の道楽に絵画や美術品を収集して、それを公開するというなら実に愛ずべき事である。だから足立美術館や根津美術館が出来るのは好ましい事なのだが、県立美術館や市立美術館が矢鱈に出来ると、おいおいちょっと待てと言いたくなる。そんな金があったら税金を下げるべきではないか。庶民から搾り取った税金で道楽しないでくれと言ったら言い過ぎか。

学問や先端科学もかつては金持ちの道楽だった。チコ・ブラーエが精密な星の運行記録を作ったおかげでケプラーの法則が導かれ、それがニュートンの万有引力の発見につながるが、貴族の支援を得て作られたチコ・ブラーエの観測機器は国家予算で建設されたスーパー・カミオカンデを連想させる。
宇宙開発だってそうだ。アマゾンの創業者ジェフ・ベゾスは月面着陸と宇宙コロニーを目指してブルー・オリジン社を作った。そんな事は本来なら国家が税金でやる事なのだろうが、流石ITの雄は責任感の薄い官僚に金の使い方を任せておけないとばかりに、巧みな税逃れで節税した資金で宇宙に乗り出す。仮に彼の計画が失敗に終わったとしても、官僚と言う没個性的な人格が無駄遣いをするより、個性的な人がその責任で無駄遣いをやった方が大局に立てば良いのかも知れないと思ったりするのである。