2020年4月14日火曜日

正しく恐れる

ついに島根にも新型コロナウィルスの感染者が確認された。ずうっと感染者ゼロが続き、出雲の神様が守って下さるのだ、と周りの人に自慢していたのに。もっとも日々発表される感染者とは正確には感染確認者と言うべきで、感染はしていても無症状の保菌者は恐らく発表される人数の何倍もいるのだろう。だからこそ感染経路の不明な人が沢山でるのもやむを得ないのだと思う。
しかし真に恐れるべきは感染する事より重篤化して死亡したり後遺症が残ったりする事だろう。国内の死亡者数は四月十日現在で百三十一名(読売新聞)。最初の死者が出た二月中旬から約二か月でこの数字だ。厚生労働省の人口動態調査のデータを見ると去年一月から十一月までの間にインフルエンザで死亡した人は三千三百人いる。単純平均で月三百人、冬の間は平均値以上の数の人が亡くなったはずが、それと比較して死亡者がうんと少なく見えるのは母数の関係か。今は少なくて済んでいるが、油断をするなという事か。
そもそも死因がインフルエンザだとはどういう状況か。インフルエンザが元で肺炎を発症し死に至った、というケースなら分かる。その場合は死因が肺炎に分類されているはずだ。他の要因がなくて、単にインフルエンザだけが主要な要因で死ぬというケースがあるのだろうか。エボラ出血熱やペストなら全く健康な人がそれだけの理由で亡くなるのも容易に想像できるのだが。ちなみに肺炎で亡くなった方は前データによると八万七千人、月平均約八千人もいる。
正しく恐れろ、と言われる。勿論そうしたい。だが、数字だけを見ると経済や生活の犠牲とのバランスに疑問を感じる。中学の修学旅行も中止になりそうだと言う。修学旅行の想い出は古希になっても語り合えるものなのに。

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