不要不急の外出を控えろと言われても、普段からどちらかと言えば出不精で、用もないのに家を出るなんてまずないので協力のしようがない。明日でも良いかどうかが不要不急の判断基準だそうだが、図書館へ本を返すのは一日くらい遅れても許されようが、一週間十日以内には必ずしないといけない。一週間程度先延ばしに出来るだけの事は今日やっても同じだろう。
流石に友人との飲み会はここ二か月皆無だし、先の予定も全くない。歓楽街が閑散とするのもむべなるかなだが、得意先の接待も不要不急と見なされたのだろうか。会社の売上を伸ばすための営業活動はサラリーマンにとって至上命題だったはずだが。
不要不急の活動を自粛したとたん経済がガタガタになったのを見ると、人間の活動がいかに不要不急のもので成り立っているかを思い知らされる。文化そのものが不要不急と言えば言えなくもない。野球やサッカーを見なくても生きていけるし、歌舞伎を見なくても生きていける。文明の発達によって、生きていくうえで必要不可欠な必需品が安く提供されるようになり、経済の多くの部分が不要不急のニーズによって支えられているようになった。それは人間がより自由になった事を意味し、本来喜ぶべき事のはずなのだが。
こんなご時世でも飲み歩く人は稀にいて、テレビカメラを向けられたその人は「禁止すると言ってくれれば出歩かないが、自粛じゃなあ」と答えていた。お上から禁止される事を望んでいるかの発言には驚くしかなかった。自分の行動は自分の責任において自分で決める、誰からもあれこれ指図されたくない、を信条とする私にとって「由らしむべし知らしむべからず」は遠い昔の冗談にしか思えない。行政には指示命令ではなく、正確で的確な情報公開を望む。
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