私の住む埼玉県幸手市の正福寺には義賑窮餓之碑という石碑が立っている。天明三年浅間山の大噴火によって関東平野に火山灰が厚く降り積もり大飢饉が発生した際、幸手宿の豪商21人が金銭・穀物を出し合い、幸手の民を助けたという善行を顕彰して建てられたものだ。天明三年は西暦では一七八三年、同じ年にアイスランドのラキ火山も大噴火し、ヨーロッパでも農業が大打撃を受け、それがフランス革命の遠因となったという説もある。幸手では富裕層が貧民を助けたが、パリのベルサイユではどこ吹く風の贅沢三昧が続けられていたという訳だ。
そして令和、ウィルスによる経済の混乱期に私財を投じようという富裕層はいないのか。それどころか国が困窮対策として支給しようという十万円を、生活に不安のないお金持ちまで受け取るのではないかと心配されている。十万円と言えば我々庶民には大金だが、一晩の飲み代にもならないという人もいるだろう。その人の経済状態に応じて十万円の価値は大きく違う。だから支給方法に工夫を凝らし、本当に十万円を有難いと思える人だけに配布する方法はないものか。
例えば、公園や学校の庭の草取りを一時間やった人にだけ十万円を渡す、というのはどうだろう。草取りではなく、道路わきの溝掃除でも良い。とにかくお金持ちが「そこまでして十万円欲しくない」と思うような何かをする事を支給の条件とするのだ。
本来ボランティアでやるような神聖な作業をお金で汚すようにも思えるし、市民に労役を課すのは憲法上問題もあるのかも知れないが、街の美化にもつながる良い案ではないかと思う。中には作業をしたふりをしてサボる人も出るかも知れないが、一時間サボるのも結構辛い事なので、まあそれは大目に見る事にしよう。
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