2020年7月28日火曜日

ウィズコロナ


「ウィズコロナ」という言葉をよく聞く。「コロナと共に」つまり「回りにコロナウィルスがいる前提で生活しよう」という趣旨なら感染者が出るのは当たり前で、新規感染者の増加に大騒ぎするのは如何なものか。感染、発症、治癒の各フェーズを冷静に観察すべきではないか。それとも徹底的にウィルスの封じ込めを狙っているように見えるのは、口では「ウィズコロナ」と言いながら本音では「アンチコロナ」を目指しているからか。ウィズかアンチか、アメリカの小学校での出来事を思い出す。
アメリカで一年暮らす事になり、子供達の現地の小学校への入学手続きの際、あらかたの登録が終わって、先方が盛んに気にする事があった。ツベルクリンテストは大丈夫か、という事だった。当時苦労してようやく陽転した頃だったので、胸を張って大丈夫と答えた。ところが学校が始まって数週間後堰を切ったような電話が掛かってきた。あれだけ確認したのにお宅の子供さんはツ反が陽性ではないか、というのだ。その時知ったのは日本ではツ反は結核菌に対する免疫の有無を調べるものだが、アメリカでは結核菌の有無を調べるもので陰性でなければならないという事だ。いわば結核菌に対し、日本はウィズの戦略を取り、アメリカはアンチの戦略を取っていたのだった。
回りに結核菌がいない事を前提にしている社会ではツ反に陽性の人、つまり保菌者かも知れない人は隔離される。私の子供達も何本か注射を打ってツ反が陰性になるまで学校に来てはいけないと言われた。日本のBCGは優秀で決して他人に結核を移す心配はないという医者のお墨付きを貰って無事通学できるようになった時は胸をなでおろした。
コロナに対しても優秀なワクチンが開発されれば良いが、抗体があっても免疫があるとは限らないなんて報道が気に掛かる。

2020年7月21日火曜日

記者会見


藤井新棋聖の誕生は誠に素晴らしい事だった。渡辺三冠を下しての結果だから文句のつけようがない。コロナ禍で対局が延期されていたが、新記録に間に合って良かった。ただ局後に行われた記者会見には強い違和感を禁じ得なかった。
対局当日夜の記者会見、主催者や居並ぶ記者達の中に本人の置かれた状況をおもんばかる人はいなかったのだろうか。あの対局の解説者だった久保九段は言っていた。「対局の翌日は何も予定を入れないようにしています。対局で疲れ切って何も出来ないからです。」それ程対局は疲れる。しかもその週の月曜と火曜は北海道で二日制の対局をこなし、一日の移動日を入れて大阪での対局だった。家にも帰っていないし、家庭料理も食べていないのだろう。本当なら対局後すぐに家に帰ってお母さんの手作り料理で一杯、いやまだお酒はいけないが、ともかく体と精神を休めたいところだったはずだ。
それでも藤井新棋聖の態度はだれよりも大人だった。カメラマンからの右を向け、左を向け、花束をもっと上げろ、などの注文付きの長時間の写真撮影に素直に応じ、入れ替わり立ち替わり出てくるまるで芸能界のゴシップでも扱うかのようなノリの質問にも丁寧に応じていた。
その様子を見てテニスの試合後の勝利者に対するオンコートインタビューを思い出した。質問者はテニスを良く知っている元選手などで時間も十分程度と手短に行われ、カメラマンは自ら動いて良いアングルを探す。事情を良く知っている人からの的を得た質問に、疲れているはずの選手も応対を楽しんでいるようだ。将棋でも例えば世事に明るい故米長邦雄九段とか故芹沢博文九段などが代表して会見すれば面白かっだだろう。
それにしても記者達は質問の内容で自分の知的レベルが試されているという自覚を持つべきだと思う。

2020年7月14日火曜日


連日の雨、テニスは中止になるし、洗濯もままならない。しかしそんな事くらいでこぼしていたのでは被災地の人達に申し訳ない。洪水で家が流されたり、家の中が泥だらけになったり、ましてや関係者に死者が出たらどれほど悲しいだろう。悲しさを通り越して怒りを感じたり、明日からの生活再建を思って自暴自棄になったりしそうだ。
幸い、七十年近く生きて来て、大きな災害に遭った事がない。地震で家が潰れたり、火災で家財一式焼けてしまったり、妙な犯罪事件や大きな事故に巻き込まれたり、そんな経験がない事はなんと幸せな事かと思う。
唯一の記憶は小学四年の時、家が床上浸水した事だ。今と同じ、梅雨の終わりで丁度夏休みに入る頃だった。部屋の中に櫓を組んでその上に畳を乗せ水から守った後、父が私を抱っこして避難させようとした時、外は大人の太ももまで水が来ていた。妹と二人は親戚の家に預けられ、両親は屋根裏に布団を敷くだけの空間を作ってしばらくそこで暮らした。当時は避難所とか公的支援はあまりなかったのかも知れない。夏休みの後半には家に帰る事が出来たように思う。と言うのは家で聴いた雨の音を今でも鮮明に覚えているからだ。夕立が屋根を打つ音を聴くとすぐに洪水のシーンが思い出されて恐怖で小さな胸が震えた。今度の洪水でも同じようなトラウマを抱えた小学生が熊本にも岐阜にも沢山いるのではないか。
日本では水を司る神として竜神が各地で祀られてきた。それが仏教の八大龍王と結びつき、雨乞いの対象となったとされる。空海が京都の神泉苑で雨乞いをした時も龍王が現れ雨を降らせたと伝わる。だが、今回はしばらく雨はいい。金槐和歌集にある源実朝の願いを一緒に念じたい。
 時により過ぐれば民のなげき也 八大龍王雨やめたまへ

2020年7月7日火曜日

新様式


新しい生活様式が中々身に付かない。一番困るのは外出の際、ついマスクを忘れてしまう事だ。買い物でレジに並ぶ時にはハンカチで口元を覆う事にしているが、先日床屋へ行った時は「マスクをしていない人はお断りしています」と言われてしまった。幸い店にあった予備のマスクを譲って貰う事でその場はしのいだが、対面する訳でもなく言葉を交わす訳でもないのに、との疑問が残った。まあ万々が一の事を考えれば払って損のないコストと言うべきか。今後はこんな事のないよう、六月五日に届いて神棚に飾ったままになっているアベノマスクをウェストポシェットに常備する事にしよう。
NHKの将棋囲碁のトーナメントも新様式で始まった。対局者のマスク着用と、対局者の間にアクリル板を設置するというスタイルで。しかしアクリル板の下の開口が大きすぎるように思えるし、幅も十分でなく両サイドは空いているのであれで本当に効果があるのか疑問ではある。そもそもアクリル板が両対局者それぞれに二枚必要なのだろうか。私なら中央に一枚、それもテーブルからはみ出る程十分に幅のあるものにする。
将棋の新様式で残念だったのは和室スタイルからテーブルと椅子の様式に変わった事だった。囲碁は随分前からテーブル方式に変わっていて残念に思っていたが、やはり和室で分厚い盤をはさんで向かい合うという姿に憧れる。流石にタイトル戦はアクリル板などという不粋なものはなく従来通り和室で和服姿で行われた。(将棋のタイトル戦は対局者は勿論、立会人、記録係に至るまで和服で臨むという暗黙のルールがある)
もしも対局者の一方が無症状だが感染している事が分かったらどうするのだろう。別室に隔離してネット対局という事になるのか。それも時代の流れなのかなあ。