2020年11月24日火曜日

ゴキブリ

 いきなり無粋な表題で申し訳ありません。正直言ってこんな内容を話題にする事にためらいもありましたが滅多にない珍しい体験だったので敢えて取り上げた次第です。場合によっては読者の皆様の気分を害するかも知れず、次の段落に進むにあたってはそれなりの覚悟をお願い致します。

全ては新型コロナのせいだ、と開き直ろうか。普通なら三ヶ月か四ヶ月に一度は帰省しているが、今度のコロナ騒動で一年間実家を放置する事になった。一年も家を空けるなんてそんな経験をした人は殆どいないだろう。それでもある程度の予想はつく。庭に雑草が生い茂ったり、部屋の中が埃っぽくなったり。だが、実際現実にそれをしてみると思いも寄らない事が起きる。

何より仰天したのはトイレのドアを開けた瞬間だった。そこには床一面にゴキブリの死骸が散乱していた。その数、数十匹。ほぼ均等に間をあけて、まるで集団自決でもしたかのように。慌てて箒と塵取りを取ってきて始末し、一息つくと不思議の念がふつふつと湧いてきた。

死骸はソーシャルディスタンスを保つかのように散らばっていた。死因は餓死しか考えられないが、餓死寸前のヘトヘトの状態で最後の力を振り絞ってたどり着いたゴキブリが空いた場所を探してそこで事切れたというのか。そもそも餓死寸前の状態で選んだ場所がどうしてここだったのか。餌なら別の場所にありそうなのに。因みに家中他の場所に死骸はなかった。家の外には出ようとしなかったのか。餓死目前でたどり着いた場所に仲間の死骸があったらそれを餌にしようとは考えなかったのか。おぞましい話だが人間は遭難して食料が尽きた時には仲間の死骸を食べて命をつないだという話もある。ゴキブリはどうやらそうはしなかった。ちょっと見直したくなった。

2020年11月17日火曜日

 

恐らく殆どの人が毎朝鏡を見て自分の姿形でおかしな所がないか確認して修正している事だろう。私も寝ぐせと鼻毛のチェックくらいはしている。中にはより見栄えを良くするため加筆修正を加える人だっているはずだ。外見も勿論大切だが、しかし人間の真価を測る物指しとしてはその言動の方が遥かに重要だと思うのに、自分の言動を映す鏡を見ない人がいるのはどうしてだろう。

ユーチューブでより多くの閲覧を得るために奇行を繰り返す人がいるようだが、その人は行動の鏡に自分を映した事がないに違いない。一度でも鏡に映る我が身を見たら、あたかも鼻毛が伸び放題の自分の姿を見るようで激しい自己嫌悪に苛まれるだろうに。負けを認めないアメリカのトランプ大統領に対し、バイデン氏は「恥ずかしい」とコメントした。バイデン氏は心の鏡を持っているが、トランプ大統領は持っていないという事だろうか。

しかし、本当に自分の言動を外からチェックしようと思ったら鏡だけでは足りない。父が私に良く言っていた。「良く覚えておけよ。お前の悪い所はお前の背中に書いてあるぞ。」自分の言動をチェックしようと鏡を入念に覗いても自分の後ろは見えない。そして廻りの人達にはその背中が良く見える。自分の欠点や直すべき点はそういうものなのだ。

反省した積り、でもその反省が鏡で前だけを見たものになってないか。本当の反省とは、周りの人が自分の背中に書いてある悪い点を見て示した反応を良く観察する事なのだ。そして、率直に諫言してくれる信頼できる友人と諫言を受け入れる素直で謙虚な気持ちが必要だ。

トランプ大統領は合わせ鏡で自分の背中を見る事が出来るだろうか。気に入らない部下をすぐ解任したり、あれだけ肥満だと難しいかも知れない。

2020年11月10日火曜日

美醜

 ブロブフィッシュという深海魚をご存じだろうか。イギリスのTHE UGLY ANIMAL PRESERVATION SOCIETY(醜悪動物保存協会とでも訳そうか)が開催した「世界で最も醜い生き物コンテスト」で栄えある一位に輝いた魚だそうだ。ネットでその写真を見ると、確かに一位の栄冠に相応しい相貌をしている。しかし、どうしてこういう姿形を醜いと感じてしまうのだろうか。

利己的遺伝子仮説に従えば、より良い遺伝子を残せそうな個体を美しいと感じるように我々はプログラムされていると考えるべきだろう。より良い遺伝子とはより環境に適合しやすい遺伝子であり、強く生き延びる可能性の高い遺伝子と言える。ブロブフィッシュも人間がどう思うのかは知った事ではなくて、彼等の中で美男美女を交配相手として探しているに違いない。もっとも我々が見ているのは一気圧の環境に置かれた姿であり、深海の高圧下では彼等ももっと引き締まった顔をしているのかも知れないが。

ところで人間世界でヤセ型の方がデブより好まれるのはどうしてだろうか。元気な子孫を残すという観点から言えば太っている方が子育てには適しているようにも思える。胎内にいる時の栄養補給の点からも、母乳を与えるという点からもふくよかな体型の方が良いと思うのに、美を競うようにたおやかに腰を振って歩くファッションショーのモデルはおしなべて頼りないほどに痩せている。そういえば「たおやか」には「嫋やか」という字が当てられる。人間は利己的な遺伝子から解放されて弱さを許容しているのだろうか。

人間に肥満という体型が出始めたのはごく最近、少なくとも数千年前農耕技術を獲得して食料の不安が軽減されてからの事だろうから遺伝子もどう対応したら良いか戸惑っているのかも知れない。因みに野生の肉食動物の死因のトップは餓死だそうである。

2020年11月3日火曜日

老いと死

 今年のカレンダーも残り二枚になった。旅行に出るわけでもなく、美術館や博物館へ行くわけでもなく、盛り場で会食するわけでもなく、一年が終わろうとしている。本を読んで映画を見てお酒を飲んで、まるで仙人の生活みたいな毎日だ。仙人なら生老病死の悩みからも解放されているのだろうが・・・

「老いて死ぬ」ことは生物が望んでいることなのだ、と言われるとちょっと驚く。「生き物の死にざま」稲垣栄洋著の一節だ。地球上に最初に生命が誕生したのは38億年前、その単細胞生物は単純に細胞分裂で個体を増やし、死ぬことはなかった。岩石に押しつぶされたりして物理的に破壊される事はあろうが、いわば畳の上で天寿を全うするような意味での死はなかった。しかし進化の過程で生物は死ぬことを選んだ。「死」は生物自身が創り出した偉大な発明なのである、と著者は言う。

利己的遺伝子仮説という説がある。すべての生物は遺伝子の乗り物に過ぎず、遺伝子を増やすために「個体」という生物は利用されている。遺伝子が生き延びるためには個体は死んだ方が良いのである。「死」は遺伝子が古くなった個体を乗り替えてスクラップにしている事に他ならない。

餓死を覚悟で卵を温め続け、卵が孵る頃には餓死した自らの体を子供の餌として提供する虫もいるそうだ。これなど、遺伝子がそうしろと命令しているとしか思えないではないか。

植物に眼を転じると、雑草が最も進化した植物だそうだ。大木が進化して雑草になった。大木は何百年も生きる。しかしそれは遺伝子を残すためには適していない。毎年枯れて生まれ変わり、環境に適応できるよう敢えて短い命を選択したのだ。

老いと死が生物が望んだ事だとしたら、いくらか生老病死の悩みからも解放されるだろうか。