2020年12月15日火曜日

不便な便利さ

 便利さを追求するのは良いが中途半端に終わるとかえって不便になってしまう、そんな事を強く感じている。

最近買った新車に込められた様々な機能が便利なようで不便なのである。まずはスマートキーと呼ばれる仕組み。車を動かすカギを身に付けてさえいれば取り出さなくてもドアを開けたりエンジンを駆動させる事が出来る。当初はとても便利なものに思えたがいざ使い始めるといろいろ不都合を感じる。ポケットや鞄からカギをいちいち出さなくても良いのでついその存在を忘れてしまう。すると帰った時所定の場所に返すのを忘れ、次に車を使う人がカギを探し回る羽目に陥る。自分専用の車ならそれで良かろうが、家族でシェアする前提なら合鍵を作って自分専用に持っている方が却って便利だ。もう一歩踏み込んで、指紋など生体認証で操作が出来るようになれば良いが。

新車を買うのは十三年ぶりだが、その間に車は賢くなって色々教えてくれる。その日初めて車を運転する時には「今日は何月何日です。」と教えてくれたり、家に着いたら「お疲れ様でした。」と慰労してくれたりする。ちゃんと言葉がしゃべれるようだから、色んな警告も言葉でお願いしたいものだ。ある日信号待ちをしていたら「ピッ!」と強い警報音が鳴った。一体何事かと周りを調べたが異常が見当たらない。何の事はない、前の車が発進したのを教えてくれたのだ。怒ったような警報でなくやさしく言葉で教えて欲しかった。

狭い場所で駐車しようとする時も何かにぶつかりそうになると「ピピピ」と注意してくれる。だが、それが左の前なのか右の後ろなのか、どこが危ないのか分からない。どうして言葉で教えてくれないのか。

良く売れている大衆車でユーザーの意見も多数寄せられているはずなのに残念だ。

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