2020年12月1日火曜日

徳目

 先日ある民放のテレビを見ていたら、教育勅語の復活を訴える識者がいた。勿論、教育勅語を昔のままの形で、天皇の勅語として復活するという訳ではなく、勅語が重要だと訴えている十二の徳目を再度しっかり小学生に教えるべきだ、という説である。

改めてその十二の徳目を確認すると、父母への孝行、兄弟の友愛、夫婦の和、朋友の信、謙遜、博愛、修学習業、知能啓発、徳器成就、公益世務、遵法、義勇、でいずれも立派で大切な事だ。番組では教育勅語が発令された背景として明治維新による国民意識の変化を挙げていた。江戸時代は日本人が普通に当たり前のように持っていたこうした徳目が、西洋文明の流入によっていくらか疎かになりつつあったので、警告の意味を含めてそれらの重要性を再認識させる必要があったのだ、と。そして今、当時と同じ状況になっているというのだ。

ここに掲げられた十二の徳目を改めて見てハッと気付いた事があった。子供を慈しめという項目がないのだ。そもそも尊重すべき徳目を列記するのはそれがなかなか守られないからだろう。親不孝な子がいたり、兄弟喧嘩が絶えなかったり、友人を裏切る輩がいたり、そういう事例が沢山見られたからこそ、あの十二の徳目が強調された。江戸時代にも明治時代にも、まさか我が子を虐待して死に至らしめたり、食事を欲しがる子を放ったらかして遊び呆けたり、乳飲み子を残して自分勝手に自殺したりするような親が現れようとは思いも至らなかったのだ。貧困から我が娘を花柳界に売り飛ばすような親が歌舞伎や落語で出てくるのは確かにある。だが、その場合でも親は子を思い、胸が張り裂けんばかりの苦悶を感じている。

令和の教育勅語に子を慈しむを追加しなければいけないとしたら、悲しく恥ずかしい。

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