あれから二週間。麦は順調に成長していた。
畑に残る規則正しい間隔であいている穴は何だろう。麦踏をする機械の走行跡なのか?
麦踏は寡黙で辛抱強い農民をイメージさせるが、今はそれも機械化されたのか?
麦踏のまたはるかなるものめざす 鷹羽狩行
あれから二週間。麦は順調に成長していた。
畑に残る規則正しい間隔であいている穴は何だろう。麦踏をする機械の走行跡なのか?
麦踏は寡黙で辛抱強い農民をイメージさせるが、今はそれも機械化されたのか?
麦踏のまたはるかなるものめざす 鷹羽狩行
新型コロナウィルス対策として打ち出されたGoToキャンペーンだが、第三波の感染拡大を受けてその存続か中止かの判断を巡って政権は苦境に立たされた。その頃ニュース番組で良く耳にする「GoToトラベル」が何だか「GoToトラブル」に聞こえてしまった。政権の苦悩を暗示しているかのような音の響きだった。
そんな時、ある本を読んでいたら「英語のトラベルはトラブルと語源が同じだといいます。」という文章に遭遇した。その本の名は「ひらがなでよめばわかる日本語」、著者は中西進さん、あの「令和」という元号の発案者とされる人だ。そんな立派な人の言う事にケチをつけるなんて誠に恐れ多い事ではあるが、しかしトラベルとトラブルが同じ語源を持つなんてとても信じられない。確かにカタカナで書けば似ている二つの言葉だが、英語にすれば綴りも違うし発音だって全然違う。著者の言い分は「(旅では)日常とは違う、さまざまな問題が起きる」からだという事で、古代の日本人にとっても「『たび』は安寧な生活を捨てる、つらく苦しいものだった」というのがその根拠となっている。万葉集の泰斗が言うのだから後半部分はその通りなのだろう。
この本、図書館で見つけて読み始めたのだが、最初の十数頁があまりにも面白くて手元に置いておきたくなった。我々は言葉を聞くと、ついどういう漢字を書くのか気にしがちだが、日本語はその音に意味がある、と言う。「め」は目であり芽でもある、「はな」は花でもあり鼻でもある。どちらも本来同じ意味なのだ。鼻は顔の中でも特に目立つ存在だし、花も同じで良く目立つ。音に日本人の感性が込められているのだ。
本の奥付きを見ると、平成二十年発行、令和元年第六刷とある。新元号が令和になって急に売れ出したものと推察する。
昨今のコロナ関連報道を見ていると、どこか変だ、何か間違っているのではないだろうかと思えてならない。
特にそう思うのは感染症法の改正についての議論。報道によると感染者の行動履歴の調査に回答拒否や虚偽回答した場合刑事罰が下されるようになるとか。確か一般の刑事裁判では自分に不利な証言はしなくても良い筈だった。殺人罪を犯しても「あなたには黙秘の権利がありますよ」と言われるのに、どうして感染したら黙秘も出来ないのか。感染する事は殺人より重い罪だとでも言うのだろうか。
感染者が入院勧告を拒否したり、入院先から抜け出す事も刑事罰の対象となるようだ。刑務所から抜け出すのが罰せられるのは、そもそもそこにいる事自体が罰だから当然だとしても、感染者が入院しているのは罰ではない筈だ。抜け出した人が他人に感染させた場合に傷害罪が適用出来れば筋が通る。
そもそも人との接触を減らせ、と盛んに言われるが、これは周りに感染者がいるかも分からないからであって、もしその集団の中に感染者が一人もいない事が明らかなら接触大いに結構な筈。陽性者と陰性者を分ける事が出来れば陰性者の間で自由な経済活動が可能だ。中国の石家荘市では感染者が発見されたため市民約一千万人全員にPCR検査が実施されたそうだが、これも陽性者を早期に隔離し市中感染を防ぎ経済活動を守るためだろう。
日本でも同じ事をしたらどうかと思うが、検査の実施件数が中々増えない中、警視庁は留置場での感染拡大防止のため全容疑者のPCR検査を実施するそうだ。流石は人権を重んじる日本だと言いたいが、留置場での感染拡大防止より市中での感染拡大防止を出来れば優先して貰えないだろうか。
何かおかしい、この思いが杞憂であって欲しい。
いつもの散歩道の麦畑、最初は雑草かと思ったけど、整然と並んでいる様を見ると明らかに人間の手が入っている。これが桜の頃になると豊かな実をつけるのか。麦踏、ってこの草みたいなのを踏みつけるのかなあ・・・・
感染症学会という学会がある。という事は感染症学という学問もそれなりに立派に成立して色んな研究がなされていると思うのだが、どうにもその成果がはっきり見えないと感じるのは私だけだろうか。
緊急事態宣言発令に当たっての尾身会長の発言「(ステージⅢ以下にするのは)難しいが皆で頑張れば可能だ」を聞き何か絶望的な気分になった。要するに「何だかよく分からないけど、兎に角皆で頑張ろう」と言っているように聞こえるからだ。まるで太平洋戦争時の軍幹部の「敵機を撃ち落とすのは精神力だ」発言を聞くようだ。
その道の専門家ならもう少し事態を正確に把握できて、将来が見通せるものだと思っていた。例えば宇宙航空研究開発機構 JAXAによる「はやぶさプロジェクト」のように。小惑星イトカワからサンプルを持ち帰った初号機の時には燃料漏れや通信途絶状態になるなどの数々のトラブルに見舞われながら、知識・技術を総動員して推進力を生みだし初期の目的を達成した。専門家の凄さに脱帽し感動したものだった。
その時の感動が今回のコロナ騒動では感じられない。人との接触を減らせ、手を洗え、マスクを着用しろ、等々いずれも素人でも分かりそうな事ばかり。流石専門家は違う、と大向こうをうならせるような見解が聞こえてこないのはどうしてだろう。社会科学が自然科学程数理的ではないからか。
せめて百年前のスペイン風邪が収束したのは何故か、どういう要因が収束に寄与したのかについての研究報告でも聞ければと思うが寡聞にして知らない。ネットで検索する限りでは時間の経過と共に自然にウィルスが消滅して行ったような印象を受ける。今回ももし同じだなら、兎に角ウィルスが自滅してくれるまで三年程度じっと辛抱して待つしかないのだろうか。
あけましておめでとうございます。今年も当新聞並びに当コラムをご愛顧お願いいたします。
今年の初詣は家族や身近な人達の幸せを願うと共に、コロナの収束を願って手を合わせた方が沢山いらっしゃる事だろう。全国民がこれほど一つの同じ事を願ったのは初めてではないだろうか。年賀状にもコロナ収束を願う記述が多かった中に、ソルジェニーツィンの風刺小話だとして左記の文を紹介した一枚があった。
・我々は彼らのウソを知っている
・彼らも彼ら自身がウソをついていることを知っている
・彼らは我々が彼らのウソを知っていることを知っている
・我々も知っている 彼らは我々が彼らのウソを知ることを知っていることを
・それでも彼らはウソをつき続ける
ソ連共産党幹部の腐敗を揶揄したと思われる小話を敢えて年賀状に引用したのは、年末の「桜を見る会」を巡る一連の騒動に義憤を感じての事と推察する。
不起訴になって安倍さんの心は晴れたのだろうか。収支報告書不記載の罪は一応そういう事として、有権者への利益供与・買収は立件対象にならないのだろうか。かつて有権者にウチワを配っただけで大問題になった人もいた。今回は一人数千円の利益供与が行われているのに買収のバの字も出て来ない。それがクリアされたら安倍さんは安堵するのか。安倍さんの心はどうすれば綺麗に晴れ渡るのだろう。
リンカーン大統領は知っている。「彩色写真で見る世界の歴史」という本に肖像写真と共にリンカーン大統領の言葉が載っていた。当時の陸軍長官に当てたものだというその言葉は
「ほとんどの場合、中傷に対する最高の弁明は真実です。」