たぶんこれで間違いなし!
2021年2月26日金曜日
2021年2月23日火曜日
迷走
前々回森会長の発言が波紋を「呼んだ」と過去形で書いた時は、それが二週間以上も波紋を「呼び続ける」事になろうとは思いもしなかった。
キーワードも「女性蔑視」から「女性差別」、「透明性」、「ジェンダーフリー」、「ダーバーシティ」、果ては「インクルージョン」なんて言葉も飛び出した。「インクルージョン」とは耳慣れない言葉だが、日本語にすれば「含む事」、つまり除け者を作らない、排除しない、という事だろうか。それを言うのがかつて新政党立ち上げの時「排除します」と高らかに宣言した人なのだから、世の中どう転ぶか分からない。
透明性についてもちょっと変だ。川淵さんが排除されたのは透明性に欠けたからではなく、あまりに透明に全てが表に出てしまったからではないか。森・川淵会談など、従来なら秘密裏に行われた事だろうに。そして結果として「人生最後の大仕事だ」とやる気満々だった人が辞めて「やりたくない」と固辞していた人が選ばれた。どうして?その過程はとても不透明に見える。やる気のある人が手を挙げて、抱負を語り、その候補者の中から組織委員会の人達が彼等のトップとして最適と思う人を選挙で選べば良かった。
2021年2月16日火曜日
入試問題
受験シーズとなった。受験生諸君には健康に留意して欲しいが、仮に陽性になってもちゃんと受験できるような配慮を是非ともお願いしたいものだ。コロナごときに一生を左右されたら可哀そうすぎる。
先週のいつだったか新聞に開成中学の入試問題が載っていた。右上に「広告」の文字があったから、おそらく学習塾の広告で、塾に通わないとこんな問題を解けるようになりませんよ、とでも言っているかのように難しい。算数の問題とあるが、数学の問題としても難しい。本当にこんな問題を小学生が解けるのだろうか。
例えば最初の問題はこうだ。「2021年2月1日は月曜日です。現在の暦のルールが続いたとき、2121年2月1日は何曜日ですか。」問題の後にどういう場合にうるう年になるか現在の暦のルールが書いてある。ルールに従ってうるう年の数を数えて、トータルの日数を7で割れば良いのだから比較的簡単な問題と言えるが、それにしても集中力と根気がなければ大人でも簡単には正解にたどり着けないのではないか。
最初の三問はなんとか解けたが四問目には参った。「1÷9998 を小数で表すとき、小数第48位の数、小数第56位の数、小数第96位の数をそれぞれ求めなさい。」まさか力ずくで計算しろと言っている訳ではなかろうに。二番目の三角形の内部を線で分割する問題だって知恵を働かさないと力ずくでは解けない。一体どんな知恵を出せば良いのか。大学生でも数学科の学生でもない限り解けないのではないか。
四問でつまずいて自信喪失したが、口直しに一月中頃の新聞に載っていた大学入試共通テストの問題に挑戦してみた。こちらの方が中学入試より余程やさしかった。
囲碁や将棋でも大人より遥かに強い小学生がいるが、そんな子に出会ったような気がした。
2021年2月9日火曜日
女性差別
森会長の発言が波紋を呼んだ。「女性の多い理事会は時間がかかる。」はて、理事会に時間がかかるのは悪い事なのか。沢山の意見が出て、より良い結論に達するのが良い理事会と言うべきで、やった事にしないといけないからアリバイ作りのように開催され、シャンシャンで終わる理事会ならやる意味がない。そもそも時間が短い方が良いと言うなら、すべて独裁で決めて、一切理事会をやらなければ時間はゼロで済む。発言もなくただ座っているだけの男性理事の奮起を促したものだ、と森会長には言って欲しかった。尤も「女性は競争意識が強い。」と、対抗意識だけで発言に価値がないかのようにも取れる物言いで馬脚を表してしまったが。
しかし森発言を批難し正義感面をしている人に問いたい。女性が対等に扱われない現状を黙認して良いのかと。随分前になるが、女子サッカー選手がワールドカップの賞金を男子と同じにすべきだと主張している新聞記事を見た。サッカーに限らず多くの競技で男女に差がある。テニスは四大大会の優勝賞金が男女同額だが、それは映画「バトル・オブ・セックスズ」でも描かれたキング女史の懸命な訴えがあったからこそである。
将棋や囲碁も女子の優勝賞金は男子に比べて極めて少ない。男子の方が強いから、というのが一つの言い訳なのだろうが、ならば男子棋戦よりAI同士の棋戦の優勝賞金がもっと高くても良い筈だ。勝ち負けそのものより、実力が拮抗している者同士が知力と体力を振り絞って勝利に向け努力する姿が感動を呼ぶのであって、その感動にスポンサーが付き、それが賞金につながる。
2021年2月2日火曜日
音
前回トラベルとトラブルの同一語源説に疑問を呈したのは言語学に基づく論証がなかったからであり、もしあればそれに異を唱える積りは毛頭ない。また我々日本人がbとvの違いやlとrの違いを良く聞き分けられない事を悲観する積りもない。世界にはhとkの違いを聞き分けられない人達もいるのだから。
音の違いを聞き分けるのは長年の生活習慣に依存するのであり、個人の資質とは無関係だと思う。お隣の韓国には「カ」と聞こえる音が二つあり、一つは「ka」でもう一つは「kka」とでも表記しようか、彼らには明確に違うようだがいくら注意して聞いても識別できない。「プ」も「pu」と「ppu」があるが、前者はむしろ「ブ」に近い音らしいのは釜山の英語表記がBUSANである事からも分かる。
以下はパリのレストランでの体験談。本場のエスカルゴに舌鼓を打っていると、バイオリンとアコーディオンを抱えた二人組の音楽師がやってきた。チップを弾んだら喜んで、リクエストはないかと言う。ジャポネソングを、と英仏チャンポンの変な所望が通じて荒城の月を演奏してくれ、終わると歌詞を教えてくれと言う。ゆっくり良く聞き取れるように歌詞を言うと彼等のメモには「Alukolono Ananoyen」と書かれている。フランス人にはhの音は聞き取れないから仕方ないかと思ってそのままにしておいたが、「昔の光」が「Mukashino Ikali」になるに及んで「怒り」は困ると思って「『イ』じゃないよ『ヒ』だよ『ヒ』」とヒを強調して発音したら彼等のメモは「Kikali」になっていた。彼等にはイもヒもキも同じに聞こえるらしい。
もしフランス人が「ハッパとカッパが同じなのはどちらも緑だからか」などと推論したら、それは違うよ、と教えてあげなくてはいけない。