2021年10月26日火曜日

心配

眞子さまのご結婚については「二人が好き合って結婚したいと言うのだから回りがとやかく言う事はない」という意見もある。それは一見寛容な意見に見えて、実は突き放した冷たい言葉なのではないだろうか。

私だって、もし当事者が眞子さまではなく芸能人の誰かであったならそう言うだろう。相手の男性がマザコンで経済力に疑問があろうが、打算の影が見え隠れしていようが、仮に何人もの女性を泣かせた事のある名うてのプレイボーイであろうが、二人が好き同士で一緒になりたいというなら一緒になれば良いのであって、その後本人がどうなろうが知った事ではない。だが、眞子さまには絶対に不幸になって頂きたくないのだ。皇室の誰かが不幸になる事は日本人全体が侮辱されたような気がする。だからこそ色々心配もする。

今回の騒動を巡っての多くの意見も恐らく眞子さまの幸せを願っての心配から出たものだと思う。ただでさえ環境は激変する。今まで見えない鉄格子の中でいくらか不自由ではあったかも知れないが、そこは世間の喧騒や悪意や堕落から守られたある種の楽園でもあった。我々庶民はそうした悪徳に子供の頃から少しずつ触れて慣れて、免疫をつけて来た。鉄格子越しに外界を垣間見ただけでPTSDになるような純粋さのままいきなり世間の波に揉まれて大丈夫なのだろうか。

堕落の甘い誘いの向こうには不幸と言うきつい副作用が待っている。飲んだくれという堕落の後に二日酔いと言う不幸が待っているように。庶民はそうした不幸にも少しずつ免疫をつけて対抗して来た。

いやいや、全ては杞憂であって欲しい。お二人が幸せな家庭を築き、ホラ大丈夫だったでしょうと笑って見返してくれる事を切に願うものである。

2021年10月22日金曜日

月と柿

 10月20日は旧暦の九月十五日。満月が綺麗でした。(カメラが上等でなくて、月の表情まで撮れなかったけど)

柿の木って、葉が全部落ちて実だけが露出されてるんだね。鳥に食べて貰うように実を強調しているのかなあ。リンゴやミカンは葉の中に隠れるように実が成っているように思うけど。

2021年10月19日火曜日

堕落する自由

 眞子さまと小室さんを巡っては様々な意見や考え方がマスコミやネットで飛び交い、その視点の多様性に驚いたり呆れたりもしている。そんな中私が思ったのは自由についてだ。

「一民間人として自由に生きたい」という眞子さまの思いは良く分かる。今年二月にはドバイの王女の記事が新聞に載った。アラブ首長国連邦ドバイ首長国のラティファ・マクトゥム王女が「私はとらわれの身だ。窓には鉄格子がある」と動画で訴えた事を英国BBC放送が報じたと。イスラム教の女性観が背景にあるのだろう。日本では庭の散策も自由に出来ようし、飲み物や食べ物もお望みの物が恐らく超一流の形で提供されるだろうが、しかし精神的鉄格子とでも言おうか国民の目や規範で縛られている。

今回の騒動の中では佳子さまの発言を問題視する意見もあった。ある女性活躍に関する公式行事で、ジェンダーギャップ指数で日本が156カ国中120位だった事を「とても残念」と仰った。これは立憲民主党のジェンダー政策への支持を表明するものであり、皇室としてあるまじき事だというのだ。そこまで言わなくてもと思うが、監視の目はそれほどきつい。かつてバブル絶頂期の頃ジュリアナ東京でミニスカートを履いて扇子を片手に腰を振って踊る女性達がいたが、そんな事は論外であろう。

我々庶民にはあって皇室にはない自由とは、堕落する自由ではないだろうか。品行方正である事は立派な事だがいつもそうだと疲れる。時には羽目を外して堕落してみたい。ジュリアナ東京もそうだし、体に悪いと分かっていてもたまには飲んだくれてもみたいのだ。眞子さまも30年間ずっと品行方正である事に疲れられたのだ。少し堕落の味も味わいたい。堕落には甘い香りと味がある。だが同時に毒も持っている事を忘れてはならない。

そして・・・・

2021年10月12日火曜日

お迎え

 先週は一週間の内に二度も通夜に参列する事になった。しかもいずれも同世代の友人を送るものだった。自分自身の年齢を改めて感じさせられた。気が付けば自民党の総裁選に立候補した四人とも自分より年齢が下になっている。お迎えの足音を意識した。

父が他界したのは私が53歳の時、享年83だった。それと母の享年67を足して2で割ると75になる。だからもし仮に75歳の時お迎えが来てもジタバタしないような生き方をしようと思った。それより早かったら「まだやり残した事があるからちょっと待ってくれ」と言っても良いが、75でお迎えが来た時には「お待ちしておりました」と泰然と迎え入れる事が出来るようにと。

その期限が少しづつ迫って来る。先日は運転免許の高齢者講習会の案内が来た。講習に参加して修了証明書なる立派な紙を頂いたが、これを持って行かないと次の免許更新が出来ないらしい。こんな事こそデジタル化して免許証に履歴を紐付けるべきだ、などと思いながらその数日後、何年ぶりかに健康診断を受けたら血圧がかなり高い事が分かった。コレステロールで血管が詰まってきているらしい。薬を飲まない事を自慢にしていたのに、ついに血圧を下げる薬の厄介になる事になった。

先週亡くなった友人の一人は今年の四月まで一緒にテニスを楽しんだ仲だ。体調不良を訴え病院で癌が見つかったが、手術を受けて年末にはテニスに復帰すると元気に宣言していたのに、結局手術も出来ずに逝ってしまった。ピンピンコロリという死に方が理想と言われるがほぼそれに近い。家族に別れの覚悟もいとまも与えないような突然死は遺族には辛すぎるから。

今年もカレンダーが残り三枚になった。人生の残りのカレンダーを精一杯生きようと思った。

2021年10月5日火曜日

総裁選

 自民党の総裁を選ぶに当たって、四人の候補者を集めて行われた討論会の様子を見て感じた事を少々。

原子力、年金、靖国、少子化など直面する課題に夫々の考える所を披露し、議論するというのは誠に結構な事ではあった。しかしどうだろう、こういう議論は何年かに一回やるものではなく、常に不断に国会で行われるべきものではないか。しかもこれから責任を持って国家運営に当たろうとする四人に、質問し考えを質しているのは報道機関の記者であったりコメンテーターと呼ばれる人であったりする。彼等は一体どういう背景と権限があって国民の代表面をして四人に対しているのだろうか。本来なら選挙で国民の負託を受けた野党議員が、政権担当者と丁々発止のやり取りをすべきではないのか。

現実には国会はあたかも与党のスキャンダルを追求する場になっているかのようである。もし野党がその方が国民受けすると思っていたら大きな間違いだ。今度の討論会の視聴率がどの程度であったか知らないが、恐らく国民はまともな政策論争を望んでいると思う。スキャンダルの追求は報道機関に任せて、政策論争の対陣を張る事こそ野党の仕事のはず。どこかでそれが入違ってしまったようだ。

個別テーマの中では靖国問題が気になった。候補者達は「国のために尊い命を捧げた英霊に尊崇の念を示す」と仰る。それは当然の事として、問題はA級戦犯が合祀されている事だろう。ドイツにも戦争で命を落とした兵士達を祀る施設はあると思うが、もしそこにヒトラーやゲッペルスが一緒に眠っていたらどうだろうか。日本のA級戦犯とヒトラーは違う、と言われるかも知れない。ならばその事をもっとキチンと議論しないと、それを避けていたら靖国参拝問題は永遠に空回りしそうな気がする。