先週は一週間の内に二度も通夜に参列する事になった。しかもいずれも同世代の友人を送るものだった。自分自身の年齢を改めて感じさせられた。気が付けば自民党の総裁選に立候補した四人とも自分より年齢が下になっている。お迎えの足音を意識した。
父が他界したのは私が53歳の時、享年83だった。それと母の享年67を足して2で割ると75になる。だからもし仮に75歳の時お迎えが来てもジタバタしないような生き方をしようと思った。それより早かったら「まだやり残した事があるからちょっと待ってくれ」と言っても良いが、75でお迎えが来た時には「お待ちしておりました」と泰然と迎え入れる事が出来るようにと。
その期限が少しづつ迫って来る。先日は運転免許の高齢者講習会の案内が来た。講習に参加して修了証明書なる立派な紙を頂いたが、これを持って行かないと次の免許更新が出来ないらしい。こんな事こそデジタル化して免許証に履歴を紐付けるべきだ、などと思いながらその数日後、何年ぶりかに健康診断を受けたら血圧がかなり高い事が分かった。コレステロールで血管が詰まってきているらしい。薬を飲まない事を自慢にしていたのに、ついに血圧を下げる薬の厄介になる事になった。
先週亡くなった友人の一人は今年の四月まで一緒にテニスを楽しんだ仲だ。体調不良を訴え病院で癌が見つかったが、手術を受けて年末にはテニスに復帰すると元気に宣言していたのに、結局手術も出来ずに逝ってしまった。ピンピンコロリという死に方が理想と言われるがほぼそれに近い。家族に別れの覚悟もいとまも与えないような突然死は遺族には辛すぎるから。
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