2021年10月19日火曜日

堕落する自由

 眞子さまと小室さんを巡っては様々な意見や考え方がマスコミやネットで飛び交い、その視点の多様性に驚いたり呆れたりもしている。そんな中私が思ったのは自由についてだ。

「一民間人として自由に生きたい」という眞子さまの思いは良く分かる。今年二月にはドバイの王女の記事が新聞に載った。アラブ首長国連邦ドバイ首長国のラティファ・マクトゥム王女が「私はとらわれの身だ。窓には鉄格子がある」と動画で訴えた事を英国BBC放送が報じたと。イスラム教の女性観が背景にあるのだろう。日本では庭の散策も自由に出来ようし、飲み物や食べ物もお望みの物が恐らく超一流の形で提供されるだろうが、しかし精神的鉄格子とでも言おうか国民の目や規範で縛られている。

今回の騒動の中では佳子さまの発言を問題視する意見もあった。ある女性活躍に関する公式行事で、ジェンダーギャップ指数で日本が156カ国中120位だった事を「とても残念」と仰った。これは立憲民主党のジェンダー政策への支持を表明するものであり、皇室としてあるまじき事だというのだ。そこまで言わなくてもと思うが、監視の目はそれほどきつい。かつてバブル絶頂期の頃ジュリアナ東京でミニスカートを履いて扇子を片手に腰を振って踊る女性達がいたが、そんな事は論外であろう。

我々庶民にはあって皇室にはない自由とは、堕落する自由ではないだろうか。品行方正である事は立派な事だがいつもそうだと疲れる。時には羽目を外して堕落してみたい。ジュリアナ東京もそうだし、体に悪いと分かっていてもたまには飲んだくれてもみたいのだ。眞子さまも30年間ずっと品行方正である事に疲れられたのだ。少し堕落の味も味わいたい。堕落には甘い香りと味がある。だが同時に毒も持っている事を忘れてはならない。

そして・・・・

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