2021年10月5日火曜日

総裁選

 自民党の総裁を選ぶに当たって、四人の候補者を集めて行われた討論会の様子を見て感じた事を少々。

原子力、年金、靖国、少子化など直面する課題に夫々の考える所を披露し、議論するというのは誠に結構な事ではあった。しかしどうだろう、こういう議論は何年かに一回やるものではなく、常に不断に国会で行われるべきものではないか。しかもこれから責任を持って国家運営に当たろうとする四人に、質問し考えを質しているのは報道機関の記者であったりコメンテーターと呼ばれる人であったりする。彼等は一体どういう背景と権限があって国民の代表面をして四人に対しているのだろうか。本来なら選挙で国民の負託を受けた野党議員が、政権担当者と丁々発止のやり取りをすべきではないのか。

現実には国会はあたかも与党のスキャンダルを追求する場になっているかのようである。もし野党がその方が国民受けすると思っていたら大きな間違いだ。今度の討論会の視聴率がどの程度であったか知らないが、恐らく国民はまともな政策論争を望んでいると思う。スキャンダルの追求は報道機関に任せて、政策論争の対陣を張る事こそ野党の仕事のはず。どこかでそれが入違ってしまったようだ。

個別テーマの中では靖国問題が気になった。候補者達は「国のために尊い命を捧げた英霊に尊崇の念を示す」と仰る。それは当然の事として、問題はA級戦犯が合祀されている事だろう。ドイツにも戦争で命を落とした兵士達を祀る施設はあると思うが、もしそこにヒトラーやゲッペルスが一緒に眠っていたらどうだろうか。日本のA級戦犯とヒトラーは違う、と言われるかも知れない。ならばその事をもっとキチンと議論しないと、それを避けていたら靖国参拝問題は永遠に空回りしそうな気がする。

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