2022年3月29日火曜日

思考実験

人間が犯した刑事事件ならどんな凶悪事件であろうと必ず弁護士がつく。しかし今度ばかりはロシアの弁護をしようという人が現れない。物事を正しく理解するためには双方の主張を聞くべし、という原則に立って、ロシアを、プーチン大統領を弁護したらどうなるだろうかと考えてみた。以下はあくまで一種の思考実験として論じる事であり、プーチンを弁護するなんて玉木はとんでもない奴だ、などと思わないで頂きたい。

学者の中にはNATOの東進を約束違反だと非難するプーチンに対して「一部の政治家の発言をNATOの総意と見なすのは無理がある」と言う人がいる。それはいくら何でもNATOに肩入れし過ぎだろう。民法に表見代理の規定があるように、それなりに地位のある人の約束ならロシアがあてにするのは当然だしNATOにもそれなりに尊重すべきだ。プーチンはNATOの「見下した姿勢」が我慢ならないと言っている。

ウクライナがミンスク合意を軽視した事も問題だ。ゼレンスキー大統領は国内での人気低迷対策として、トルコから買ったドローンでドンバス地方の親ロシア派に攻撃を仕掛けていたようだ。NATOはウクライナにミンスク合意の遵守をもっと強く勧めるべきではなかったか。ロシアの出方を興味本位で眺めていたという事はなかったか。

ロシアはドンバス地方の二つの「人民共和国」と「友好協力相互援助条約」を締結した。「安全を確保する」との名目で、親露派の支配地域にロシアの軍事基地の建設と使用や相互の防衛義務も規定している。有効期間は10年間で自動延長の規定もあるなんてまるで日米安保条約を参考にしたかのようだ。ロシアは当該地方が自分の領域だと思っているから血を流して戦っているが、アメリカは恐らくそこまでしない。それが日米安保との違いかも知れないが。

2022年3月22日火曜日

逃げる

 戦争ほど努力と報酬、過誤と代償の非対称性がひどいものはない。それによって得をする人間は左程の苦労もせず、何の得もしない人間がとてつもない辛苦を強いられる。ウクライナから命からがら隣国に避難した女性や子供達を見ていると、その不合理を痛感する。

テレビに映るのは避難所に到着して一応の安堵を得た人達だけだが、戦場から「逃げる」過程はさぞ大変だった事だろう。第二次大戦末期、満州から「逃げる」様子を描いた、なかにし礼の「赤い月」という小説を読んだ。小説だから多少眉に唾をしないといけないかも知れないが、実体験を書いた藤原ていの「流れる星は生きている」にも似たような事が書かれているからほぼ真実だろう。読んでいると「逃げる」事の悲惨さと、日本軍人のだらしなさに胸が暗くなる。

小説は昭和二十年八月九日に始まる。異変に気付いた日本人が逃げるため列車に乗ろうと駅に集まるとそこでは「群がる市民を相手に憲兵がわめいている。『避難列車に乗る順番は、まず軍総司令部の将校家族、つづいて佐官家族、尉官家族。その次に満鉄社員家族。一般人はそのあとだ。』」なんと!一般人を置き去りにして軍人が真っ先に「逃げる」算段をしているのだ。その論拠が「軍人は国の宝なのだから、最優先に避難して当然なのだ。」だと。こんな事だから日本は負けるべくして負けたのだ。

主人公の家族は関東軍のツテを頼って何とか軍用列車に乗り込む事に成功するが、途中ソ連軍戦闘機による機銃掃射を受けたり、汽車による逃避行も生易しいものではなかった。便所にまで人が詰め込まれているものだから、男も女も小用を窓からやって済ませたとか。男はともかく、女までもがひどい屈辱を強いられる。その様子がどうであったか、その描写もあるので興味ある方はご一読を。

2022年3月15日火曜日

リーダー

 ウクライナがロシアの侵攻になんとか耐えている中、ロシアの軍事力を恐れてか調停に乗り出す国が現れない。アメリカは半分当事者みたいなものだし、中国に期待する向きもあるようだ。結局、米露中の三か国の顔色を窺いながら世界の政治が回っている。その米露中という三つの軍事大国を向こうに回して日本がかつてそれぞれとタイマンでガチンコの戦争をやって21敗と勝ち越した事を思うと昨今の日本の政治家の影の薄さが情けない。

いやいや国際政治の檜舞台で大きな顔をして国民を戦争に巻き込むようなリーダーよりは、片隅でひっそりとしていてひたすら自国民の幸せを念じている方がずっと良いリーダーなのかも知れない。プーチン大統領を見ていると、ああいう人が日本のリーダーでなくて良かったとしみじみ思う。

古代中国ではリーダーを王者と覇者の二つに分類し、徳を以て天下を治める者を王者、力で治める者を覇者と呼んだ。プーチン大統領に王者の風格は全くないし、覇者と呼ぶ事すら憚られる。ボディーガードを沢山引き連れて歩く姿は山口組の親分でも見ているようだ。

ウクライナ侵攻の指令を出した時はちょっと脅せばウクライナの指導者がすぐに尻尾を巻いて逃げるとでも思っていたのだろうか。そういう誤算をするのは彼自身がそういう人間だからだろう。しかしゼレンスキー大統領は逃げなかった。その悲愴な表情を見ると、桶狭間の戦いを前に幸若舞を舞った信長の姿が重なる。「人間五十年、下天のうちを比べれば夢幻の如くなり」ゼレンスキー大統領もそんな心境かも知れない。

翻って日本のリーダーも、普段目立たないのは良いが、いざと言う時には逃げないで毅然とした態度を見せてくれないと困る。スキャンダルの度に秘書の責任にするのを見ると心配だ。

2022年3月8日火曜日

言葉

アメリカに住むウクライナ人が戦争反対のデモをする映像がテレビで流れた。その中に「No Putin No Cry」と書かれたプラカードが写っていた。字幕では「プーチンがいなければ涙は流れない」と説明されていたが、そうかな?と思った。報道は解釈の要素を入れず、出来るだけ客観的であるべきだという原則からすれば「プーチン嫌い、泣くのも嫌」という感じが適切ではないだろうか。

テレビニュースで流れる言葉に注目して見ている。パラリンピックのウクライナ代表は記者会見の席でたどたどしい下手な英語で「Thank you for make decision云々」と言っていたが、これはmakingと言うべきだろう。現地の様子を伝えるニュースではあるウクライナ人が未熟な日本語で「メンタルにあきらませると、そういう怖がりがあります。」と言っていた。字幕にはちゃんと「諦めさせるのではと、そういう恐怖があります。」と出ていたが。動詞の活用はどの言語でも難しい。

ロシア語やウクライナ語が分からないのが残念だが、ゼレンスキー大統領が国民を鼓舞する演説で使っているのは流石にウクライナ語なのだろう。彼の母語はロシア語で、ウクライナ語は一生懸命勉強したとか。時々興奮して我を忘れた時にはポロっとロシア語が出たりしないだろうか。

そう言えばフルシチョフもウクライナ人だったそうで、ロシアが露土戦争でトルコから奪ったクリミア半島をウクライナの帰属にしたのもそれが関係しているらしい。世が世ならゼレンスキー大統領がソ連の書記長になる可能性だってゼロではなかった訳だ。

スターリンはジョージア出身だったし、ヒトラーはオーストリア人でドイツの国籍を取得したのは首相になる数年前だった。欧州での国の概念は日本人が考える以上に複雑で一筋縄ではいかないものなのだろうと思う。

2022年3月1日火曜日

知的生命体

 

恐竜の時代は66百万年前に終わるまで約16千万年間続いた。もし隕石が衝突して来なければもっと続いただろう。一方で人類の時代は新人類の出現からカウントしても20万年、ネアンデルタール人の時代を入れてもせいぜい50万年に過ぎない。ノストラダムスは3797年までの予言を残しているそうだが、それまで本当に人類は生き延びていられるだろうか。知性の暴力的な膨張を理性は押さえられるのだろうか。

人類は他の動物に比べて肉体的身体能力に劣る分、知恵を活かして生き延びて来た。しかしよせばいいのにその知恵を仲間を殺すためにまで使い始めた。それは知性と理性のアンバランスに起因する。人を殺すための機械はどんどん進歩するのに、人を思いやる気持ちは一歩も進歩しない。かつては弓矢や投石器程度であった武器が今や全人類を一瞬に消し去る事が出来るほど進歩したのに、「真偽・善悪を識別する能力」(広辞苑)である理性は孔子やソクラテスの時代から1ミリも進歩していない。領土拡張のエゴは中国の春秋戦国時代からまるで変わらない。知的資産は言葉で次世代に伝えられ際限なく膨張するが、理性は一代毎に振り出しに戻る。これは悲しいかな知的生命体の宿命のようだ。

その証拠に地球以外の星の生命が一向に発見できないではないか。宇宙の広大さを考えれば、地球以外の天体に生命が生まれない筈がない。その中には必ず知性を備えた者もいて、彼等も交信を試みていたかも知れない。ひょっとしてそれは地球が恐竜の時代に届いていたかも知れないのだ。だが彼等は人類と同じように自らの知性の故に絶滅した。互いに時を同じくして存在し交信できる確率はゼロに近い、それ程知的生命体が存続出来る時間はホンの一瞬でしかないという事だ。