2022年3月8日火曜日

言葉

アメリカに住むウクライナ人が戦争反対のデモをする映像がテレビで流れた。その中に「No Putin No Cry」と書かれたプラカードが写っていた。字幕では「プーチンがいなければ涙は流れない」と説明されていたが、そうかな?と思った。報道は解釈の要素を入れず、出来るだけ客観的であるべきだという原則からすれば「プーチン嫌い、泣くのも嫌」という感じが適切ではないだろうか。

テレビニュースで流れる言葉に注目して見ている。パラリンピックのウクライナ代表は記者会見の席でたどたどしい下手な英語で「Thank you for make decision云々」と言っていたが、これはmakingと言うべきだろう。現地の様子を伝えるニュースではあるウクライナ人が未熟な日本語で「メンタルにあきらませると、そういう怖がりがあります。」と言っていた。字幕にはちゃんと「諦めさせるのではと、そういう恐怖があります。」と出ていたが。動詞の活用はどの言語でも難しい。

ロシア語やウクライナ語が分からないのが残念だが、ゼレンスキー大統領が国民を鼓舞する演説で使っているのは流石にウクライナ語なのだろう。彼の母語はロシア語で、ウクライナ語は一生懸命勉強したとか。時々興奮して我を忘れた時にはポロっとロシア語が出たりしないだろうか。

そう言えばフルシチョフもウクライナ人だったそうで、ロシアが露土戦争でトルコから奪ったクリミア半島をウクライナの帰属にしたのもそれが関係しているらしい。世が世ならゼレンスキー大統領がソ連の書記長になる可能性だってゼロではなかった訳だ。

スターリンはジョージア出身だったし、ヒトラーはオーストリア人でドイツの国籍を取得したのは首相になる数年前だった。欧州での国の概念は日本人が考える以上に複雑で一筋縄ではいかないものなのだろうと思う。

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