2022年3月22日火曜日

逃げる

 戦争ほど努力と報酬、過誤と代償の非対称性がひどいものはない。それによって得をする人間は左程の苦労もせず、何の得もしない人間がとてつもない辛苦を強いられる。ウクライナから命からがら隣国に避難した女性や子供達を見ていると、その不合理を痛感する。

テレビに映るのは避難所に到着して一応の安堵を得た人達だけだが、戦場から「逃げる」過程はさぞ大変だった事だろう。第二次大戦末期、満州から「逃げる」様子を描いた、なかにし礼の「赤い月」という小説を読んだ。小説だから多少眉に唾をしないといけないかも知れないが、実体験を書いた藤原ていの「流れる星は生きている」にも似たような事が書かれているからほぼ真実だろう。読んでいると「逃げる」事の悲惨さと、日本軍人のだらしなさに胸が暗くなる。

小説は昭和二十年八月九日に始まる。異変に気付いた日本人が逃げるため列車に乗ろうと駅に集まるとそこでは「群がる市民を相手に憲兵がわめいている。『避難列車に乗る順番は、まず軍総司令部の将校家族、つづいて佐官家族、尉官家族。その次に満鉄社員家族。一般人はそのあとだ。』」なんと!一般人を置き去りにして軍人が真っ先に「逃げる」算段をしているのだ。その論拠が「軍人は国の宝なのだから、最優先に避難して当然なのだ。」だと。こんな事だから日本は負けるべくして負けたのだ。

主人公の家族は関東軍のツテを頼って何とか軍用列車に乗り込む事に成功するが、途中ソ連軍戦闘機による機銃掃射を受けたり、汽車による逃避行も生易しいものではなかった。便所にまで人が詰め込まれているものだから、男も女も小用を窓からやって済ませたとか。男はともかく、女までもがひどい屈辱を強いられる。その様子がどうであったか、その描写もあるので興味ある方はご一読を。

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