2022年3月1日火曜日

知的生命体

 

恐竜の時代は66百万年前に終わるまで約16千万年間続いた。もし隕石が衝突して来なければもっと続いただろう。一方で人類の時代は新人類の出現からカウントしても20万年、ネアンデルタール人の時代を入れてもせいぜい50万年に過ぎない。ノストラダムスは3797年までの予言を残しているそうだが、それまで本当に人類は生き延びていられるだろうか。知性の暴力的な膨張を理性は押さえられるのだろうか。

人類は他の動物に比べて肉体的身体能力に劣る分、知恵を活かして生き延びて来た。しかしよせばいいのにその知恵を仲間を殺すためにまで使い始めた。それは知性と理性のアンバランスに起因する。人を殺すための機械はどんどん進歩するのに、人を思いやる気持ちは一歩も進歩しない。かつては弓矢や投石器程度であった武器が今や全人類を一瞬に消し去る事が出来るほど進歩したのに、「真偽・善悪を識別する能力」(広辞苑)である理性は孔子やソクラテスの時代から1ミリも進歩していない。領土拡張のエゴは中国の春秋戦国時代からまるで変わらない。知的資産は言葉で次世代に伝えられ際限なく膨張するが、理性は一代毎に振り出しに戻る。これは悲しいかな知的生命体の宿命のようだ。

その証拠に地球以外の星の生命が一向に発見できないではないか。宇宙の広大さを考えれば、地球以外の天体に生命が生まれない筈がない。その中には必ず知性を備えた者もいて、彼等も交信を試みていたかも知れない。ひょっとしてそれは地球が恐竜の時代に届いていたかも知れないのだ。だが彼等は人類と同じように自らの知性の故に絶滅した。互いに時を同じくして存在し交信できる確率はゼロに近い、それ程知的生命体が存続出来る時間はホンの一瞬でしかないという事だ。

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