2022年10月25日火曜日

ハデバ:トライアングル第789回

 秋になった。田んぼの稲刈りはもう終わったのだろうか。昔なら実りの秋の象徴としてハデバがあちこちに見られただろうに、あの懐かしい風景はどこへ行ったか。

高校同級生のメーリングリストが方言で盛り上がり、自然と「シシシ」や「ハデバ」に話題が広がった。丁度その頃私の住む幸手市の郷土資料館では大正・昭和初期の懐かしい風景を集めた写真展があり、農家の庭先に袴のように稲わらをぶら下げた木の写真を見た。聞けば「木吊るし」と言ってこの地方の原風景なのだとか。ここから稲わらを引っこ抜いては利用した、と言うから埼玉版の「シシシ」と言えようか。脱穀前の稲を乾かすためには、腰の高さに水平に渡した一本の竹に稲束を架けていたそうで、それは「ハンデン」とか「ノロシ」と呼ばれたらしい。

収穫後の稲の処置に関しては各地方毎に様々な知恵や工夫があって、それを調べたらきっと面白い結果が得られると思うが、それにしても出雲地方の「ハデバ」の技術と創造性は大いに誇って良いと思う。あんなに高い構造物を作るに至った経緯は何だろうか。危険を冒してまで毎年解体と構築の手間を惜しまないメリットは一体何だったか。

太陽の恵みを一杯に受けるため、という説もあるがもしそうなら魚の天日干しのように水平に並べた方がずっと良い。あれだけ高効率に貯蔵するのは地面を空けておきたかったからとしか思えない。実際ハデバが設置されるのは道路のすぐ脇、田んぼの端っこで、決して田んぼの真ん中には作られない。田んぼの土地を空けて、他の作物を作る、例えば二毛作がしたかったのだろうか。

ハデバに関しては不思議な事だらけだ。昔の狭い道をどうやってハデギを運んだか等。何らかの情報をお持ちの方、ご一報頂ければ幸いです。

2022年10月18日火曜日

もしかしたら:トライアングル第788回

 コロナの話題がすっかり減った。それでも最近の新規感染者数はかつて第一波で緊急事態宣言が出た頃の何十倍にもなる。グラフを見ても第一波の山は余りに低くてどこにあるのか分からないくらいだ。あの頃の騒ぎは一体何だったのか。

とまれ、社会が普通の姿を取り戻すのはありがたい事だ。そんな中、政府が観光業界を支援しようと始めた全国旅行支援の対象となる旅行予約で売り切れが続出しているらしい。市場で行われる通常の経済活動に変な横槍を入れて介入すれば混乱が起きるのは当然だ。

「売り切れ」という言葉に旧ソ連で「もしかしたら」という意味の「アボーシカ」と呼ばれる買物袋を女性が外出の際いつも持ち歩いていたという話を思い出した。街を歩いていてもしかしたら何か売り出しがあるかも知れない。その時はすぐに行列に並んで買えるように袋は必携の品だったのだ。サイズの合わない衣類でも兎に角買って仲間で融通し合ったとか。計画経済で流通が政府の管理下にあるとすぐに物が売り切れになったという話。

かつて日本は最も成功した共産国家だと揶揄された事がある。昨今共産国家の悪い面をよく目にするような気がしてならない。

小中学校で生徒に配られるデジタル端末の破損が相次ぎ、自治体の負担が急増しているそうだ。個人所有のパソコンやタブレットがそんなにしょっちゅう壊れる事はないように思うが、自分の物じゃないと思うと扱いが粗末になるのだろう。中共で集団農場を始めた時、家畜が全て集団の管理下に置かれる事を知った農民が取り上げられる前に家畜を全部食べてしまった話を思い出す。

考えて見れば補助金のばらまきも多分に共産国家的発想だ。もしかしたら日本はかつてソ連が経済的に行き詰まったのと同じ道を歩んでいるのではあるまいか。

2022年10月11日火曜日

世襲:トライアングル第787回

 人の意見を聞き、よく検討する事を旨とする岸田総理が今度はどうしたのだろう。ご子息の首相秘書官就任では身内の自民党からも異論が出ているらしい。人の意見を聞いて慎重に事を運ぶ事に根回しは入っていないのか。

国葬の時もそうだった。自民党本部に設けた献花台に長い行列が出来たのを見て国葬の実施を決定したのだそうだが、老練な政治家なら公言する前に派閥の若手の口からでも「国葬」を話題に出し、観測気球を上げて世間の反応を見たりしそうなものだ。

果敢に実行すべき事には熟慮検討し、慎重に事を運ぶべき時に猪突猛進するようなそんな感じがなきにしも非ず。「息子を総理秘書官にして経験を積ませようということ」という観測もあるが、修行なら私設秘書官でやって欲しい。国庫から高額の給与を支払うのは十分な職務遂行能力のある人にして欲しいと納税者の一人として思う。

以下は前回と同じ「北条氏の時代」からの受売りになるが、名執権を出し続けた北条氏も単純な世襲ではなかったそうだ。そもそも義時は一時江間義時を名乗り、時政は牧の方との間に生まれた政範に北条家を継がせるつもりだった。泰時は母の出自が悪く名越朝時が本命視されていたし、時頼は次男で、泰時は長男の経時に帝王学を学ばせた、と言った具合。いずれも名執権は実力でのし上がっている。時宗は苦労もなくなるべくしてなった執権だったが、その暗愚さが元寇を招いたのではないかというのが著者の説だった。賢く対応すれば蒙古襲来はなかったはずだと。

中世でも藤原摂関家への道筋を作った良房、基経の二代は実の親子ではなく、良房が優秀な基経をスカウトして養子にしているし、道長は五男で本来なら目のない立場だった。

安易な世襲は危ないと歴史が言っているような気がする。

2022年10月4日火曜日

寄進:トライアングル第786回

鎌倉時代の事をもっと知りたくて手の取った本の中で印象に残っている一つが「北条氏の時代」本郷和人著だ。大河ドラマの方は恐らく北条義時が他界すれば終わるのだろうが、その跡を継いだ泰時も中々の人物だったようだ。その泰時が明恵上人と出会うのは承久の乱がきっかけだが、果たして大河ドラマでその出会いも描かれるのかどうか。

今回敢えてこの本を紹介しようと思ったのは、昨今話題になっている宗教と寄進について興味深い話が沢山載っていたからである。

明恵に帰依する泰時が高山寺に荘園を寄付しようと申し出るが、明恵は「私たちの縁は財や金銭とは無縁です」と断る。短歌でその気持ちを伝えた明恵に泰時も「そう言わずに受け取って下さい」と短歌で返し、最後に明恵が「紙を継ぐ続飯もなにかほしからむ きよき心は空にこそ住め」と返すやり取りが紹介されている。

他にも似たような話が沢山あり、泰時の弟である極楽寺重時が子供たちに残した家訓である極楽寺殿御消息の第62条には「堂塔を建て、親や祖父の仏事をする時に、ほんの少しでも他人から金品を徴収してはならない。仏事の事で間違った事があっては、神仏が喜ばれないのは理の当然である。」とあるとか。内大臣の徳大寺実基は後嵯峨上皇に「神は人の信と徳は受け取って下さいますが、真心のこもっていない供え物は受け取りません」と献策したとか。旧統一教会に聞かせたい話が満載だ。

また地頭の上原敦広と僧の信瑞の問答を集めた広疑瑞決集(広の疑問に瑞が決す)にも民から搾り取った年貢で寺や仏像を作る是非についての問いに「どんな供物も民を苦しめた結果なら仏は喜ばない。まず民をいたわりなさい。それが仏への帰依になる」と書かれているらしい。