秋になった。田んぼの稲刈りはもう終わったのだろうか。昔なら実りの秋の象徴としてハデバがあちこちに見られただろうに、あの懐かしい風景はどこへ行ったか。
高校同級生のメーリングリストが方言で盛り上がり、自然と「シシシ」や「ハデバ」に話題が広がった。丁度その頃私の住む幸手市の郷土資料館では大正・昭和初期の懐かしい風景を集めた写真展があり、農家の庭先に袴のように稲わらをぶら下げた木の写真を見た。聞けば「木吊るし」と言ってこの地方の原風景なのだとか。ここから稲わらを引っこ抜いては利用した、と言うから埼玉版の「シシシ」と言えようか。脱穀前の稲を乾かすためには、腰の高さに水平に渡した一本の竹に稲束を架けていたそうで、それは「ハンデン」とか「ノロシ」と呼ばれたらしい。
収穫後の稲の処置に関しては各地方毎に様々な知恵や工夫があって、それを調べたらきっと面白い結果が得られると思うが、それにしても出雲地方の「ハデバ」の技術と創造性は大いに誇って良いと思う。あんなに高い構造物を作るに至った経緯は何だろうか。危険を冒してまで毎年解体と構築の手間を惜しまないメリットは一体何だったか。
太陽の恵みを一杯に受けるため、という説もあるがもしそうなら魚の天日干しのように水平に並べた方がずっと良い。あれだけ高効率に貯蔵するのは地面を空けておきたかったからとしか思えない。実際ハデバが設置されるのは道路のすぐ脇、田んぼの端っこで、決して田んぼの真ん中には作られない。田んぼの土地を空けて、他の作物を作る、例えば二毛作がしたかったのだろうか。
ハデバに関しては不思議な事だらけだ。昔の狭い道をどうやってハデギを運んだか等。何らかの情報をお持ちの方、ご一報頂ければ幸いです。
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