2022年12月31日土曜日

ご挨拶

 島根日日新聞に毎週火曜日掲載しているコラム「トライアングル」の内容を、五日遅れの土曜日にこのブログに掲載します。島根日日新聞をご購読頂けると嬉しいのですが、遠隔地にお住いの方にはこのブログをご笑覧頂ければと思います。

「不思議生活」とは日々「不思議だなあ」と思う事を書き留めておこうとの主旨です。

例えば・・・・

先日「空白の日本史」(本郷和人著、扶桑社新書)の「第7章 日本史の恋愛事情--女性史の空白」を読んで不思議に思った事。

平安時代の婚姻形式は「婿取り婚」(招婿婚とも)と言って、男性が女性の家を訪ねて夫婦生活を営む形式だった。生まれた子は母親の実家で育てられ、それが外戚の力の源泉となり、摂関政治が生まれた、と言う説が一般的。確かに源氏物語などにはその様子が描かれている。光源氏は臣籍降下しているから良いとして、はて、天皇も夜な夜な女性の家(例えば藤原摂関家)を訪ねたのだろうか?警備はどうしたの?それなりの数の警備の人を従えていただろうが、その人達は一晩どこで明かしたのだろうか?

平安後期には「婿取り婚」から「嫁取り婚」に変化して、それが摂関政治から院政への転換に関係している(父系が強くなった)との事だが、時間的にはそのような変遷があったとして、空間的に見て、貴族社会では「婿取り婚」でも同時代の一般大衆はどうだったのか?農民などは嫁は大事な労働力であって、是非来てもらいたい対象だったのではないか?生まれた子供にしても、嫁の家で幼い頃を育て、元服したら父の家に行くというのでは労働力を奪われる嫁の家は納得しないだろう。

貴族社会だけが「婿取り婚」だったとしたらそれは何故なのか?地方豪族の婚姻形態はどうだったのだろうか?

2022年12月27日火曜日

この一年:トライアングル第798回

 今年は何と言ってもウクライナ戦争の年として後世に記録されるに違いない。今年出会った一番の本も映画もそれに関連したものだった。

友人と呉の大和ミュージアムへ行く機会があり、その縁で読んだ「戦艦大和の最期」。文語調の語りが当時の青年将校の心意気を良く表していたが、読み進めるうち当時の軍上層部に対する怒りが沸々と湧いてきた。彼らは一体本気で勝つ気があったのか。前線で戦う兵士からの武器や兵器の改良に関する提案に耳を貸すどころか、武器兵器への不満を漏らすのは精神がたるんでいる証拠だと怒鳴って、一層厳しい訓練を要求する。その訓練も「想えば無用にして甘き訓練の反復なりき」と著者は述懐する。遠くにある静止した風船を撃つ訓練では飛び回る飛行機を撃ち落とす役には立たなかったからだ。そんな人達に国の命運を託していたとは。

映画は「赤い闇 スターリンの冷たい大地で」、1930年代の旧ソ連を描いた映画だ。大恐慌に苦しむ西側諸国を尻目にソ連だけが経済的繁栄を享受しているとの報に疑問を抱いたイギリスのジャーナリストがウクライナに潜入する。そこで目にしたのは飢えに苦しみ、馬糞を食べ、死んだばかりの兄弟の肉を食う民衆の姿だった。スターリンは外貨獲得のため、ウクライナの穀物を強制的に徴収し輸出に回していたのだ。プーチンのウクライナ侵攻がハンガリー動乱やプラハの春のように行かなかったのは時代背景の違いもあろうが、その時の記憶がまだウクライナの人々の心に残っているからではないか。

国家とは人々の幸せに資する事だけにその存在意義があるのであって、国家が人々の不幸の元凶になるような事は絶対にあってはならないと強く思う。

年明けは十日からお目にかかります。皆様良い年をお迎え下さい。

2022年12月20日火曜日

国籍:トライアングル第797回

 先月の末頃、新聞の「プーチン氏露動員兵母らと懇談」という見出しが眼に入った。記事を読むと、ウクライナでの戦闘のため、ロシア軍の兵員補充として招集された動員兵の母親らとプーチン氏との懇談の様子が書かれていた。彼は「痛みを共有している」とは言いつつも、「人は必ず死ぬものだ」と述べたとか。そんな事、あんたに言われたくないよ。更に「ロシアでは年間約3万人が交通事故で死んでおり、アルコールでも同程度の死者が出ている」と語り、「重要なのはどのように生きたかだ」と言ったとか。こんな事を言う人をトップに持つ国民は可哀そうだ。

「重要なのはどのように生きたかだ」と言うのは要するに「国の為に死んで英雄になれ」と暗に言っている。そういえば似たような事を言う人がもう一人いた。ツィッター社を買収した大富豪のイーロン・マスク氏だ。彼はツィッター社の社員に対して「猛烈に働け」「死ぬ気で働け」と言い、それが出来なければ退社しろと迫った。驚いたのはそういう彼の姿勢を理解できると答えた日本人がかなりの割合でいた事だが、その人らはプーチン氏の姿勢にも理解を示すのだろうか。

二人に共通するのは自分の夢の実現のために他人も協力すべきだと言っている点だ。イーロン・マスク氏は親から財産を受け継いだ訳ではなく、彼自身が夢を追いかけ猛烈に働いて今の財産を築いたようだ。自分の夢のためなら命も懸けようが、他人の夢のためには死ねない。

だが、ツィッター社の場合は嫌なら会社を辞めればいいのだが、ロシア人はそれが出来ない。会社ならどこにも属さないプー太郎という選択肢もあるが、国の場合国籍を持たない訳にいかない。どの国にも属さずどの国からも自由である地球人という籍を国連が発行してくれないものか。

2022年12月13日火曜日

フェア:トライアングル第796回

 対クロアチア戦のPK対決での敗退は残念だった。最初に蹴った南野選手は見るからに緊張していて、実力が十分発揮できなかったようだ。PK戦ではどちらが先に蹴るか、先攻か後攻かに有利不利があるとされる。どちらもそれぞれにそれなりのプレッシャーがあるのだろうが、もし本当に有利不利があるのならなんらかの改善が必要ではないか。

例えば双方が交互に先後を交代するのはどうか。一回目はAチームが先に蹴ったのなら、二回目はBチームが先に蹴る、という風に。つまり最初一回蹴った後は一つのチームが二回ずつ蹴って行く訳だ。実はこのアイデアはテニスのタイ・ブレークからの発想だ。一人が一回サーブをした後は、それぞれが二回ずつ交互にサーブをする事によって、有利なサーブをどちらが先にやるか、先後の差を限りなく薄くしている。

スポーツに限らず全てのゲームは、状況によって一方が有利になるような事のないようにフェアなルールでなければならない。なのに一向に改善されないゲームがある。将棋だ。統計上先手の勝率が明らかに高い事が示されているのに、後手の不利さを補完する仕組みが考え出されない。弊害が一番如実に表れるのはタイトル戦七番勝負で、全局先手が勝って43敗で決着がつくことがある。こうなると実力を争っているのか、振り駒の運を争っているのか分からなくなってしまう。テニスではサーブをする側が有利だから、一度でも相手のサーブを破らないと勝てないルールになっている。将棋でも一度は後手番で勝たないといけないようにすべきだと思う。先の竜王戦では六局の内、五局を先手番が勝利し、後手で一度勝った藤井竜王が42敗で防衛した。

クロアチアはブラジルにも勝った。彼等のユニフォームを良く見ると、胸に相手チームの国旗を付けている。

「いいね」。

2022年12月6日火曜日

歴史を変える:トライアングル第795回

 中国国内でもサッカーW杯が多くの人の注目を浴びていると前回推測したが、実際その通りのようでCCTV(中国中央広播電視総台)の「スポーツ専門チャンネル」では今回のW杯の全試合を中継しているそうだ。そして「ドーハのサッカー競技場は中国企業が造った」「試合球も選手や審判のユニフォームも中国製」などと宣伝しているとか。しかし、そこで写し出される観客席の様子が波紋を呼んだ。

共産党政府は今でもゼロコロナ政策を継続し、一人でも陽性者が出たらそのビルを全面封鎖するなど厳しい行動制限を課している。ところがどうだ、テレビを見るとスタジアムに大勢の人が集まりマスクもせずに大騒ぎしているではないか。自由を縛られる事に耐えられなくなった人々がついに声を挙げた。不注意な事を書いて当局に拘束されないよう、白紙の紙を手に掲げ、多くの人がデモに集まったのだ。彼等の本音は少し前に北京の歩道橋に一人の男が吊るした横断幕に書かれていた。「不要核酸 要吃飯(PCR検査は要らない 飯が欲しい)」や「不要領袖 要選票(偉大な指導者は要らない 選挙用紙が欲しい)」等、最後には「罷免独裁国賊習近平」とも。

中国の歴史は民衆の不満が爆発した乱による王朝の交代の歴史でもある。後漢末の黄巾の乱、唐末の黄巣の乱、元末の紅巾の乱、清末の白蓮教の乱。そして今回の「白紙の乱」はまた中国の歴史を変えるのだろうか。

一方日本ではサッカー界の歴史を変えると言っている。ベスト8を目指すと言っているが、メキシコ五輪での銅メダルが話題にならないのは何故か。歴史を変えると言うのなら優勝が準優勝しかないだろう。決勝トーナメントではクロアチアを下し、ブラジル、アルゼンチンを連破して決勝で再びスペインと雌雄を決しようではないか。