2023年3月21日火曜日

差別:809

 かつてアメリカでは異人種間の結婚が禁止されていたそうだ。近所に住む幼友達の黒人女性と結婚した白人男性が禁固刑に処せられた事件もあったらしい。今から思えばとんでもない事件だが、偏見による差別というのは渦中にいると気付かないものなのか。

昨今は同性同士の結婚も認めようという動きが主流だ。かつて同性愛は犯罪とされていた時代もあったが、その過ちを謝罪するかのように、同性愛者の権利を認め差別を禁止するLGBT法案なるものも話題になっている。間違った差別を禁止するのは当然の事としても、差別される側が権利を主張する事との間には一線を画す必要があるのではないだろうか。

人種差別において、差別禁止と同時に、差別される側つまり有色人種が白人と同じ権利を主張し、例えば同じトイレを使用する権利を主張するのは当然である。その権利を認めない白人がいたら差別主義者として非難されるべきだ。だが、肉体的には男性として生まれた人が、自分の心の性は女性だとして、女性トイレを使用する権利を主張するのはどうだろうか。それを不快に思う女性を差別主義者だとは思えないのは私が古い時代の人間で差別の渦中にいてそれを認識できないからなのか。

差別に苦しんだ人達と言えば、ハンセン病の患者達を思い出す。先日NHKで北条民雄というハンセン病に犯された作家を取り上げた番組があった。彼等は「らい予防法」という謂わば差別を推進する法律で、全ての患者が施設での隔離生活を生涯送る事を余儀なくされた。今では流石にその差別が不当であったとの共通認識はあるが、差別を禁止する法律が出来た訳でもなく、「らい予防法」を廃止しただけでお茶を濁しているのが現状だ。彼等こそ一般の人達と同じ扱いを受ける権利を主張して然るべきなのだ。

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