あれからもう一年も経ったのか。安倍元総理が凶弾に倒れてから一年を報じるテレビ番組ではキャスターやコメンテーター達が異口同音に「暴力はいけない」を連発していた。
暴力がいけないのは当たり前で、そんな事は改めて言うまでもない。当の山上被告だって暴力は本来許されざる手段である事をちゃんと認識していたであろうと思う。だが、彼は追い詰められて最後の最後の手段として暴力に訴えるしかなかったのだ。テレビで能書きを垂れるような人達はそれこそ十指に余る程の手段があって、自分の意見を世に訴える事が出来よう。しかし山上被告は窮乏する家庭の中で自分の道を探し、自衛隊を退官し、自殺未遂を犯し、数少ない手段の全てを試した後の選択だったのだ。謂わば「窮鼠猫を噛む」の状態だったと思う。
綺麗事のように「暴力はいけない」を繰り返す人達が自覚すべきなのは、彼らが絶対悪だと言う暴力が一石を投じたのは間違いない事実である事だ。あの事件がなければ統一教会を巡る様々な問題は何一つ解決されないまま、一部の政治家は韓国の教祖を賛美し続け、洗脳され献金を続ける親を持つ子らは出口のない苦悩を負い続けただろう。
勿論、暴力を肯定する積りはない。だが、テレビを始めとするマスコミがやるべき事は第二の山上被告を出さないよう、社会の中で理不尽さに苦しむ人達の悩みに光を当て、彼等が暴力に訴える前に解決に向けて世論を喚起するなど手を差し伸べる事ではないのか。芸能人の不祥事を追うのも良いかも知れないが、それ以上に、過剰献金問題以外に次の山上被告を産むような問題はないのかを探って、次の山上被告を出さない努力をする事こそジャーナリストのやるべき仕事だと思う。
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