2023年7月18日火曜日

男女の差

アファーマティブ・アクションの一つなのだろうが、国会議員や企業経営者の一定割合を女性にすべきだとの議論がある。新聞によるとドイツでは現在8%しかいない陸軍の女性割合を15%まで高めたいそうだ。子育てを含めて男女が同じ事をしないといけないという昨今の主張には首を傾げたくなる事が多い。

男女同権、男女平等は当たり前の事であって、女性である事を理由に不当に不利益を蒙る事などが許されないのは当然だ。ソフィ・ジェルマンという19世紀初頭に活躍したフランスの女性数学者は女性であるという理由でエコール・ポリテクニークへの入学を拒否され、男性の偽名で論文を書いた。(アフガニスタンでは未だに女性の就学が禁止されているらしい。そんな事は本当にマホメットが望んだ事なのだろうか。)本人に才能も意欲もあるのに、その道が閉ざされる事はあってはならないし、社会の損失ですらある。しかし、その事と数学者の何割以上は女性でなければならない、というのとは訳が違う。

人にはそれぞれ得手不得手があって、適不適がある。男女の間には生物学的な差異が厳然としてあって、それは善悪を越えた事だ。勿論個体差はあって、五輪の重量挙げで優勝するような力持ちの女性もいるが、一般的には力の要る仕事は主に男性がやって、女性には女性に向いた別の仕事をやって貰う方が良いではないか。経済学の比較優位論は各自が得意な事に専念し、成果を互いに分配する事が全体をより豊かにする事につながると言っている。

日本の平安時代、当時の女性は政治などと言う下世話な事は男性に任せ、自らは芸術や思索にふけり、枕草子や源氏物語など後世に残る偉大な仕事をした。彼女らは藤原道長などより遥かに世界的に有名になったではないか。 

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