2023年10月31日火曜日

友愛と正義

 NHKの「百分で名著」はアリストテレスのニコマコス倫理学を取り上げ、彼の「友愛」に関する考え方を紹介していた。曰く「友愛があれば、正義をことさら必要としない。」

その二週間程前には同じくNHKの「映像の世紀・バタフライエフェクト」で第一次大戦前のパレスチナの様子が描かれ、そこではアラブ人家族の結婚式に隣人のユダヤ人が招かれ、共に祝宴を楽しむ等、仲睦まじく暮らす様が映し出された。そして今、アラブ人とユダヤ人のかつての友愛は壊され、互いが自らの正義を主張し合う悲劇が繰り返されている。

「映像の世紀」のタイトルは「砂漠の英雄と百年の悲劇」だった。砂漠の英雄とはアラビアのロレンス、百年の悲劇とは彼がエージェントとして仕えたイギリス政府の三枚舌外交が原因で生まれたパレスチナの悲劇を言っている。

第一次大戦前、パレスチナの地を統治していたオスマン帝国は多民族国家で、宗教にも寛容な政策を取っていた。その帝国を倒すため、イギリスは域内に住むアラブ人やユダヤ人に反乱を呼び掛ける。反乱の報酬としてアラブ人にはアラブ人の国を約束し、ユダヤ人にはユダヤ人の国を約束し、その上にあろうことかフランスとは英仏による分割を協議していたと言うから開いた口が塞がらない。アングロサクソン人には「至誠に悖るなかりしか」という発想がないらしい。尤も当のロレンスは自分がアラブ人達を騙す事になったのを恥じ、国家からの叙勲を辞退したそうではあるが。

それにしても「正義」とは何と空虚な言葉だろう。戦争はいつも双方の正義の御旗の元戦われるが、それは結局武力に勝る側の冠に過ぎず、その下には醜い欲望が隠れている。パレスチナの友愛を壊したイギリスが今更人道や正義を振りかざすのも見ていて虚しい。

2023年10月24日火曜日

マイナンバー

 「忖度」という言葉の印象を一変させる程政治家の思惑に敏感だったはずの官僚達だが、マイナバーカードの普及に関しては一向に忖度しないのは何故だろう。

先日戸籍謄本が必要になって出雲市に取り寄せを打診した。恥ずかしながら二万円のマイナポイントに釣られてマイナンバーカードを作った所だったので、これを利用して便利に受け取れるかもと期待していたが、マイナンバーカードは一切役に立たないらしい。これには驚いた。

我が住む幸手市はどうだろうかと、市役所へ行ったついでに「マイナポータルについて教えてください」と窓口で問い合わせてみたら、別件で対応してくれていた女性は「ええっと、それは・・・」とマイナポータルについては殆ど何も知らない様子。別の所員も不如意のようで、結局「詳しい者を呼んできますのでしばらくお待ちください」となった。

数分待たされて呼び出された窓口に行くと、ITに詳しそうな若い男性が待っていた。そこで渡されたA4一枚の紙に驚いた。何十回もコピーを繰り返したような紙で、恐らく元は三つ折りに畳んだ小綺麗なパンフレットだったのだろうが、今はもう細かい字は潰れて読めない。元のパンフレットは印刷部数をケチったのか、もうなくなったという。件の男性職員も左程詳しい訳でもなく、こちらの基礎的な質問にすぐに「うーん」と考え込んでしまう。操作マニュアルらしき冊子を繰りながら説明してくれるのだが、要領を得ないので、その冊子を見せてくれと頼むと、見せる訳にはいかないと拒否された。

こうした事情を総合して結論した。政府はマイナンバーカードの普及を声高に吹聴しているが、本音ではそんなにやる気はないのだ、と。さもなければ忖度文化の徹底している組織の末端がこんな為体(ていたらく)な筈がない。

2023年10月17日火曜日

藤井八冠

 過去何回藤井将棋をこのコラムで取り上げてきた事だろう。気鋭の新人として注目され始めた時、29連勝を達成した時、初タイトルを獲得した時、名人獲得の最年少記録を更新した時など、数えてみたら彼を主人公にした回だけで9回あった。その都度藤井将棋の素晴らしさを称賛してきたのだが、今回の王座戦第四局は若干趣が違った。

将棋界の全冠制覇という偉業を見届けたいと、実況放送に見入った。見始めた頃は64くらいで永瀬有利だったが、次第に藤井が押し返し逆に73で藤井優位になったかと思えば若干の緩手が出て再び永瀬優位に傾き、ついには永瀬の勝利確率99%にまでなって解説者も永瀬勝利を確信するに至った。その時たった一手の間違いで大逆転が起き、その後は素人でも分かる簡単な手順で藤井が八冠達成の勝利を手繰り寄せた。投了は丁度9時ちょっと前で、NHKのニュースは早速この勝利を速報したのだった。

最後の間違いから終局までの数手の間、自分のミスに気づいた永瀬は頭を掻きむしり、両手でゲンコツを作ったり、落ち着かない仕草を何度も見せた。一方の藤井は申し訳なさそうに下をうつむき、実に静かな手つきで着手を続けた。

この前の王座戦第三局も永瀬の勝利確率9割以上の状態からの大逆転だったが、この時は永瀬のミスというよりも、読みの深さの違いが出た結果のように思えた。藤井将棋の本領はその圧倒的な読みの深さからくる感動にあるのだから、相手のミスで勝つような勝ち方は出来ればして欲しくない。谷川将棋なら相手の勝利確率が99%になれば、自分の首を差し出し、相手のより美しい勝利を演出するような手を選んだのだろうが、藤井は「どうぞ詰まして下さい。この詰将棋解けますか」と問いかけた。内心は永瀬に解いて欲しかったに違いない。

2023年10月10日火曜日

平和

 ナゴルノ・カラバフを巡るアゼルバイジャンとの紛争でアルメニア政府はたった一日で事実上の降伏をした。

アルメニアの名前が最初に強く印象に残ったのはイスラエルを旅行した時だった。ご存知のようにエルサレムはユダヤ教、キリスト教、イスラム教の三つの大きな宗教が聖地としている場所である。それは一体どんな所か自分の眼で確かめたくて現地を訪れ初めて知ったのだが、エルサレムの旧市街はパイを4等分したように四つの街区に分かれている。四つの内、三つはユダヤ教、キリスト教、イスラム教に関係するものだとは容易に想像がつくが、最後の一つがなんとアルメニア街区なのだ。アルメニアは世界で初めてキリスト教を国教とした国という栄誉を持っており、それが関係しているのだろう。

そうした歴史を持つアルメニア政府は一日で停戦、つまり平和の道を選んだ。敵国アゼルバイジャンはカスピ海で取れる原油の上がりで軍備を増強し、アルメニアとの軍事力の差は十倍以上にも開いたという。戦っても勝てる見込みがないので降伏もやむなしとの判断だったのだろうが、それが国民には不満らしい。現政権打倒を叫んで町に繰り出している人々は、戦争を続けて自分等の町が空襲で焼け野原になっても良いと思っているのだろうか。

同じ構図で、昭和初期日本の指導者達がアメリカの要求を受け入れる形で戦争を避け、平和の道を選んでいたら、国民からどういう評価を得ていただろう。「確かに国力や軍事力に大きな差はあっても、負けると決まった訳ではない。あれだけ差のあったロシアにだって勝ったし、やってみなきゃ分からないだろう」と弱腰を批難され、国賊呼ばわりされたかも知れない。

平和を実現するには国賊になるリスクを負わねばならないという事か。

2023年10月3日火曜日

選良

 先日は「公僕」という言葉が死語になるのを心配したが、「選良」という言葉も死語になってしまうのか。

辞書によれば「選ばれたすぐれた人。特に、選挙によって選び出された代議士のこと。」とあるが、国会議員の中に市会議員を公設秘書として採用し給料の二重取りとの批判を受ける人がいたり、議員でなくなった時に返却すべき議員バッジをちょろまかしたりする県会議員がいると情けなくなってしまう。人様から借りたものはちゃんと返す、というのが当たり前だし、もしそれを失くせば賠償するのは特段すぐれた人でなくても当然やる事だと思うのだが、それすらしないらしい。

市会議員と公設秘書の兼務を禁止する法律を作ろうと提案する政党もあるらしいが、そんな事はわざわざ法律で禁止しないといけない事なのか。常識としてそんな事をやってはいけないと自制が効かないなんて「選良」の言葉が泣く。ある人は、人を殺してはいけない事は常識で分かっていても法律にはちゃんと殺人罪が明記してあるではないかと仰るかも知れない。だがそれは禁止する事に主眼があるのではなく、事前に刑罰を決めておく事に意味がありそうだ。

三重県議会基本条例ではわざわざ「議員は、県民の負託にこたえるため、高い倫理的義務が課せられていることを自覚し、県民の代表として良心と責任感を持って、議員の品位を保持し、識見を養うよう努めなければならない」とあるようだ。小学生に「清く、正しく、美しく」と説教するのは、今後どのように育つか分からない無限の可能性を秘めている子供達を良い方向に導くためだが、もう立派な大人になっで是非の判断も出来る筈の人達に向かって改めて品行方正を説かねばならないなんて、なんとも悲しくないか。