ナゴルノ・カラバフを巡るアゼルバイジャンとの紛争でアルメニア政府はたった一日で事実上の降伏をした。
アルメニアの名前が最初に強く印象に残ったのはイスラエルを旅行した時だった。ご存知のようにエルサレムはユダヤ教、キリスト教、イスラム教の三つの大きな宗教が聖地としている場所である。それは一体どんな所か自分の眼で確かめたくて現地を訪れ初めて知ったのだが、エルサレムの旧市街はパイを4等分したように四つの街区に分かれている。四つの内、三つはユダヤ教、キリスト教、イスラム教に関係するものだとは容易に想像がつくが、最後の一つがなんとアルメニア街区なのだ。アルメニアは世界で初めてキリスト教を国教とした国という栄誉を持っており、それが関係しているのだろう。
そうした歴史を持つアルメニア政府は一日で停戦、つまり平和の道を選んだ。敵国アゼルバイジャンはカスピ海で取れる原油の上がりで軍備を増強し、アルメニアとの軍事力の差は十倍以上にも開いたという。戦っても勝てる見込みがないので降伏もやむなしとの判断だったのだろうが、それが国民には不満らしい。現政権打倒を叫んで町に繰り出している人々は、戦争を続けて自分等の町が空襲で焼け野原になっても良いと思っているのだろうか。
同じ構図で、昭和初期日本の指導者達がアメリカの要求を受け入れる形で戦争を避け、平和の道を選んでいたら、国民からどういう評価を得ていただろう。「確かに国力や軍事力に大きな差はあっても、負けると決まった訳ではない。あれだけ差のあったロシアにだって勝ったし、やってみなきゃ分からないだろう」と弱腰を批難され、国賊呼ばわりされたかも知れない。
平和を実現するには国賊になるリスクを負わねばならないという事か。
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