2023年10月3日火曜日

選良

 先日は「公僕」という言葉が死語になるのを心配したが、「選良」という言葉も死語になってしまうのか。

辞書によれば「選ばれたすぐれた人。特に、選挙によって選び出された代議士のこと。」とあるが、国会議員の中に市会議員を公設秘書として採用し給料の二重取りとの批判を受ける人がいたり、議員でなくなった時に返却すべき議員バッジをちょろまかしたりする県会議員がいると情けなくなってしまう。人様から借りたものはちゃんと返す、というのが当たり前だし、もしそれを失くせば賠償するのは特段すぐれた人でなくても当然やる事だと思うのだが、それすらしないらしい。

市会議員と公設秘書の兼務を禁止する法律を作ろうと提案する政党もあるらしいが、そんな事はわざわざ法律で禁止しないといけない事なのか。常識としてそんな事をやってはいけないと自制が効かないなんて「選良」の言葉が泣く。ある人は、人を殺してはいけない事は常識で分かっていても法律にはちゃんと殺人罪が明記してあるではないかと仰るかも知れない。だがそれは禁止する事に主眼があるのではなく、事前に刑罰を決めておく事に意味がありそうだ。

三重県議会基本条例ではわざわざ「議員は、県民の負託にこたえるため、高い倫理的義務が課せられていることを自覚し、県民の代表として良心と責任感を持って、議員の品位を保持し、識見を養うよう努めなければならない」とあるようだ。小学生に「清く、正しく、美しく」と説教するのは、今後どのように育つか分からない無限の可能性を秘めている子供達を良い方向に導くためだが、もう立派な大人になっで是非の判断も出来る筈の人達に向かって改めて品行方正を説かねばならないなんて、なんとも悲しくないか。

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