2024年3月19日火曜日

攘夷と自負

 アカデミー賞の受賞が決まった瞬間、歓喜する関係者の姿を見て思わず舌打ちをしてしまった。日本人の活躍を素直に喜べば良いのだが、加齢に伴う頑固さが出たのか「外人に(特に白人に)褒められる事がそんなに嬉しいか」というねじれた思いが湧いてきた。

作品の素晴らしさは認める。特に視覚効果賞を受賞した「ゴジラ-1.0」について、ハリウッド映画の十分の一の予算で、全く引けを取らない映像を作り出したなんて聞くと、胸のすく思いがする。しかしそれとは違う何かが心に引っかかるのだ。

柔道の講道館杯の優勝者は話題にもならないのに、オリンピックのメダリストは矢鱈チヤホヤされる時に感じるのと同じモヤモヤだ。柔道の国際化を目指すというのなら、講道館杯を外人にも開放し、彼等がその伝統と歴史に名を連ねる事に憧れる事を目指すべきだ。丁度テニスプレーヤーが伝統あるウィンブルドンでの優勝を渇望するように。そうすれば柔道がレスリングと見紛うように変貌したり、柔道とジュードーは違うんだなどと言われるような事にはならなかったのではないか。

確たる価値観を持たず、他者の価値観に迎合するような人や民族は尊敬されない。日本人は一体いつから外人所謂白人に劣等感を持つようになったのだろう。少なくとも幕末に攘夷を叫んでいた志士達は外人何するものぞと思っていたはずだ。聖徳太子は煬帝に対等の立場で向かおうとしたし、足利義満は明から日本国王と呼ばれて喜んでいたようにも見えるが、実際は貿易の利益を得るための方便だったのではないかと思える。豊臣秀吉が唐入りと称して大陸に攻め込んだ時も外人への劣等感は微塵も感じられない。

アカデミー賞の受賞は素晴らしい事に違いないが、もっと自負を持ちたいと思ったという話。

0 件のコメント:

コメントを投稿