何年ぶりかに聖徳記念絵画館へ行ってきました。前に行った時には気づかなかったけど、「勝海舟の孫:精(くわし)(徳川慶喜の十男)」という表現がありました。えっ!?勝の孫が慶喜の十男?これってどういう事?勝の娘が慶喜の側室に入ったという事か?と思いながら帰ってネットで調べたら慶喜の十男が勝家に養子で入っているんだね。
2024年10月28日月曜日
勝海舟
2024年10月25日金曜日
椿姫
県立図書館でDVDを借りてきてヴェルディのオペラ「椿姫」を見ました。
2024年10月24日木曜日
新宿
久しぶりに新宿へ行った。西口は毎日通った場所。それがすっかり変わっている。西口広場の天井にわずかにかつての面影が残っていた。
2024年10月22日火曜日
搾る
先週は火曜日が新聞の休刊とあって連載をお休みさせて頂いた。火曜の朝刊への掲載に向けて日曜の脱稿が条件だが、テーマが決まっている時はさておき土曜の朝になってもテーマが決まらない時の精神的重圧は相当なものである。連載を休むと決めた時の解放感はサラリーマン時代の連休前を思い出した。
毎週木曜日辺りから何をテーマにしようか考え始め、テレビや新聞で情報を集め、本を読んだり、過去のメモを見直したりして、無い知恵を搾るのだがその過程はこの上ない脳トレになっている。そして思った、知恵というものはタオルや雑巾と違って搾れば搾る程湧いて来るものだと。一般には搾れば枯渇するのが普通だが、知恵はその逆で搾るのを止めると出て来なくなるものらしい。一週間休んで英気を養ったつもりが、いざ週末になって机に向かうと筆が進まないのに苦労した。一週間搾るのをさぼっただけでこの有り様だ。筋トレと同じで脳トレも毎日毎週、周期的にやらないといけないと思い知らされた。
世の中では衆議院総選挙が始まった。自民党の過半数割れが囁かれているが、石破首相の世論と党内意見への右顧左眄ぶりを見るとさもありなんと思ってしまう。ご本人は党内基盤の弱さを嘆いておられる。小泉元首相も党内基盤は強くなかった筈だが、良かれ悪しかれ自分の信念を貫いて世論を味方につけた。石破首相もやりたい事をドンとやればいいのに。
それにしても兵庫県の選挙の時にあれ程話題に上った選挙費用の問題が総選挙では全く出て来ないのはどうしてだろう。一つの県で16億とか18億とか言われたのだから全国規模ならその50倍程度はかかるだろうから単純計算だと1000億程度になる。そのお金は一体誰の懐に入るのか。景気刺激に役立て欲しいと祈るしかない。
2024年10月8日火曜日
再選する
「これだけ不興を買いながら再選するなど、あるはずもないが」週刊新潮のある記事の中の文章である。主語が曖昧なのだが文脈からして齋藤知事であるだろう。(因みに兵庫県の齋藤知事について週刊新潮は「齋藤」と表記しているが、それ以外、例えば読売新聞も週刊文春もサンデー毎日も「斎藤」と表記している)
「当選する」なら「選に当たる」だから斎藤知事が主語で良いが、「再選する」というのは砕いて言えば「再び選ぶ」のだから、主語が兵庫県民ならともかく斎藤知事を主語にするなら「再選される」と言うべきだと思う。
最近こういうおかしな日本語が耳障りでしようがない。NHKの7時のニュースでは「大雨注意情報が発令しました。」と言っていた。「発令されました」だろう。「輪島で店を再建させるため、川崎で営業しています。」は、店のオーナーが頑張っているのは「再建するため」であり、誰かに頼んで「再建させる」ためではなかろう。
「今日、授業が再開しました。」は「する」と「させる、される」の問題か助詞の使い方の問題か微妙。「授業が再開されました」か「授業を再開しました」なら分かる。「ビル解体工事現場でコンクリート片が下にいる警備員に直撃する事件が起きた」いつからこんな日本語が許されるようになったのか。どう考えても「警備員を直撃する」が正しいと思うのだが。
敬語の乱れも気になる。災害を受けた畜産業の報道で「良く乳の出る元気な牛になって頂きたい」なんてアナウンサーがいたが、牛にまで敬語を使うのは如何なものか。
単語そのものの乱の例として「ヴォリューミー」なんて言葉を聞いた。量が多い事を言いたかったらしいのだが、こんな英語はあるまいと思って英和辞書を引いたらvoluminousという言葉ならあった。あまり変な造語は聞いてて恥ずかしい。
2024年10月1日火曜日
植民地
自民党の新総裁が決まった日に「知ってはいけない」(矢部宏治著講談社現代新書)という本を読んでしまった。この本、副題は「隠された日本支配の構造」となっていて、戦後の日本政治の問題点をあぶり出している。
その内容をごくかいつまんで言えば「独立はさせてやる。そのかわり、占領中と同じく米軍への軍事支援は続けると約束しろ」という日米の関係、いわば日本が米軍の植民地であるかのような関係が戦後ずっと続いていて、それを問題視する声がむしろアメリカの方から起きている(例えばブッシュ政権下でのライス国務長官の発言)というのだ。
フィリピンですら「米比軍事基地協定」で米軍がフィリピン国内に基地を置いて良いのは次の23か所であると具体的に明記しているのに、日本の場合は「全土基地方式」と言ってどこにでも米軍を「配備」出来る事になっている。イラクですら、アメリカとの協定で「イラクに駐留する米軍が、イラクの国境を越えて周辺国を攻撃することを禁じる」という条文を加えさせたのに、日米安保条約は米軍が日本の国境を越えて自由に軍事行動できる権利を「国内およびその周辺」という言葉の裏に認めている。と言った事例が書かれている。(先程のライス長官の発言を含め、原典を確認して裏を取らないといけませんが、そこまではしていません。しかし、おそらく本当の事でしょう。)
幕末の不平等条約が改正されたのは明治44年だった。来年で戦後80年、サンフランシスコ講和条約からでも74年になろうとしているのに、未だにそうした歪んだ関係を改善しようという動きすらない。朝鮮戦争という休火山が活火山だった頃の名残らしいが、それが死火山になっても改善されないのではないかと不安になる。日本の保守政治家は何をしているのか。