2024年11月22日金曜日

鰐淵寺

 紅葉の名所鰐淵寺へ行ってきました。



この寺、創建が594年という古刹。杉の木の大木が歴史を物語っています。




木曜日なのに駐車場は殆ど埋まっていて、人も結構いる。大多数が中国人なのは昔は考えられなかったなあ。

もう散った後なのか、まだこれからなのか分からなかった。階段にはたくさんの落ち葉があるところを見るともう散ったのか、でも木を見るとまだ緑の葉が沢山残っていて、これから紅葉する移行期にも見える。



境内から山道を10分弱登ると滝があります。




以下は鰐淵寺の市の観光ホームページから引用

https://izumo-kankou.gr.jp/683

鰐淵寺の名前の由来にもなった浮浪滝は、修験者の守護神「蔵王権現」の聖地とされ、石段の下から谷川沿いの小道を西へ8分ほど進んだ先にあります。

滝の裏は岩窟になっており、滝壺の奥には蔵王堂がはめ込まれるように建っています。
弁慶もこの滝に打たれて修行したと伝えられ、周囲は神秘的な雰囲気に包まれています。
※足場が悪く滑りやすい道のりですので、行かれる際は十分に注意してください。

2024年11月19日火曜日

報道

 当コラム886回でご紹介した「知ってはいけない」(矢部宏治著)に触発されて、「日本はなぜ『基地』と『原発』を止められないのか」(矢部宏治著)、「戦後史の正体」(孫崎亨著)を続け様に読んで目からウロコの落ちる思いをした。いずれも戦後の日米関係を中心に日本政治の問題点を顕わにしたもので、日本の報道の在り方にも考えさせられる事が多かった。

具体的な人名はここでは控えるが、戦後日本の発展の礎を築いた人だと思っていたのが実はアメリカの御用聞きのような人で、自主独立路線を目指す人の排除に動いていたり、疑獄事件で失脚した人達の多くが日本の自主独立のために粉骨砕身していたり。その根底はアメリカの利益を守るためであり、アメリカが日本の検察や報道機関を裏で操作し、その報道で世論がアメリカの意向に沿う方向へ動いていったと筆者は語る。

歴史を語る、というのは常に群盲が象を撫でるようなもので、語る本人が見聞きした範囲内での推察から構築されているから、常に一定の警戒心を持ちながら読む事にしているが、自分の知らなかった背景が書かれていると、驚きもし、今までの不明を恥じたりもする。そして最近の報道も全て裏に陰謀の臭いを感じてしまうので困る。103万円の壁問題もその一つで、玉木代表の不祥事を持ち出したり、減税とは全く逆の106万円の壁を持ち出したり、税収大幅減の不安を持ち出したり。103万円の壁の本来の趣旨はパートタイマーの働き控えの防止にあるのであって、所得税減税ではない筈だから、基礎控除を178万円から段階的に引下げ年収500万円以上は103万円に据え置く等すれば良いではないか。

報道は官僚からの情報をただ横流しするだけではなく、問題の吟味と的確な反論や提案をその役割と思って欲しい。

2024年11月12日火曜日

後悔

 11月6日水曜日の夕刊の一面トップは「米大統領選 大接戦」という見出しだった。この記事は何時に入稿したのだろう。夕刊が届いた頃には大方の形勢は決まってトランプ候補の勝利宣言も時間の問題という感じだった。お陰で前日から酒肴を用意して日の高い内から開票速報を肴に一杯やろうという目論見が台無しになった。

それにしてもあんなに品のない人が大統領になっても良いものだろうか。国を代表する人ともなれば、人々の尊敬に値するだけの礼節を備え、自分と異なる意見や価値観にも寛大さを持っていて然るべきだと思うが、マスコミで報道されるトランプ氏の言動はひどいものだ。政敵を口汚く罵り、呪うような言葉を平気で吐く。アメリカ国民はどうしてそんな人を選んでしまったのだろう。

しかも上院・下院とも共和党が多数となった。少なくとも次の中間選挙までの2年間はトランプ氏へのブレーキが効かない(少なくとも効きにくい)状態が続く。政権中枢には彼のイエスマンしか集まらないだろうという予想もある。ロシアのプーチン大統領やハンガリーのオルバン首相など、独裁的傾向の強いトップが早速祝福を寄せた。仲間が増えたのを喜んでいるようだ。プーチンもオルバンも国内のマスコミを支配し、自分等の都合の良い情報だけを国内に流し、情報の少ない地方の票を固め、独裁体制を築いた。同じ事がアメリカでも起こらなければ良いが。トランプ氏はイーロン・マスク氏とXを利用して世論操作をするのではないかと心配だ。

イギリスのEU離脱を決めた選挙の時は、まさか離脱派が多数になるとは思わず、俺一人くらい離脱に票を入れても大丈夫だろうと高を括った人が多くて番狂わせが起きたというが、あの時のような後悔が起きない事を切に願う。

2024年11月5日火曜日

勝海舟

 明治神宮外苑にある聖徳記念絵画館へ行って来た。これは明治天皇の遺徳を偲んで建てられたもので、明治天皇誕生から崩御までの様々な出来事を描いた絵画が80枚展示されている。中には平田出身の小村大雲の絵もあった。

歴史についてはそこそこ知識がある積りだったが、今回初めて知って驚いた事があった。その一つが勝海舟と徳川慶喜の関係。皆様ご存知の江戸城無血開城に向けて西郷と勝が薩摩藩邸で会見した様子を描いた「江戸開城談判」という絵を寄贈したのは勝精(くわし)という人で、この人は勝の孫でありかつ慶喜の十男であると注釈があった。これは一体どういう事か。勝の娘が慶喜の側室となって十番目の男の子を産んだと解釈すれば整合性はあるが、そんな事があり得るのか。帰ってネットで調べると、慶喜の十男が勝家の養子に入ったとの事。11代将軍家斉は53人の子をなして次々と大名家へ養子に出したが、まさか将軍の子が下級武士の家の養子になる世が来ようとは思わなかったろう。

ところで「江戸開城談判」の絵を見て不思議に思った。勝が床の間を背にして、つまり上座に座っているのだ。戊辰戦争が始まる前なら幕臣旗本が一介の薩摩藩士の上座に座るのは当然としても、この時は西郷は官軍の代表としてつまり有栖川熾仁親王の名代として会見に臨んでいる筈。その上座に着くとは。お願いする立場の勝の気持ちはどうだったか。それとも西郷が昔馴染みの客を迎える感覚で上座を譲ったか。そう思って良く見ると勝は紋付羽織袴の正装だが、西郷は紋のない普段着のようだ。この会見、二日に渡って行われたらしい。初日は西郷は気楽に会ったが、勝の真剣な様子に驚いて、二日目には正装で臨み、上座に構えたのかも知れない。

あれこれ楽しい想像をしたのであった。