当コラム886回でご紹介した「知ってはいけない」(矢部宏治著)に触発されて、「日本はなぜ『基地』と『原発』を止められないのか」(矢部宏治著)、「戦後史の正体」(孫崎亨著)を続け様に読んで目からウロコの落ちる思いをした。いずれも戦後の日米関係を中心に日本政治の問題点を顕わにしたもので、日本の報道の在り方にも考えさせられる事が多かった。
具体的な人名はここでは控えるが、戦後日本の発展の礎を築いた人だと思っていたのが実はアメリカの御用聞きのような人で、自主独立路線を目指す人の排除に動いていたり、疑獄事件で失脚した人達の多くが日本の自主独立のために粉骨砕身していたり。その根底はアメリカの利益を守るためであり、アメリカが日本の検察や報道機関を裏で操作し、その報道で世論がアメリカの意向に沿う方向へ動いていったと筆者は語る。
歴史を語る、というのは常に群盲が象を撫でるようなもので、語る本人が見聞きした範囲内での推察から構築されているから、常に一定の警戒心を持ちながら読む事にしているが、自分の知らなかった背景が書かれていると、驚きもし、今までの不明を恥じたりもする。そして最近の報道も全て裏に陰謀の臭いを感じてしまうので困る。103万円の壁問題もその一つで、玉木代表の不祥事を持ち出したり、減税とは全く逆の106万円の壁を持ち出したり、税収大幅減の不安を持ち出したり。103万円の壁の本来の趣旨はパートタイマーの働き控えの防止にあるのであって、所得税減税ではない筈だから、基礎控除を178万円から段階的に引下げ年収500万円以上は103万円に据え置く等すれば良いではないか。
報道は官僚からの情報をただ横流しするだけではなく、問題の吟味と的確な反論や提案をその役割と思って欲しい。
0 件のコメント:
コメントを投稿