駅伝を見て法治国家に思いを致したのには伏線があって、年末のNHKのドキュメント・映像の世紀「戦後日本の設計者 3人の宰相」を視聴したからであった。それは吉田茂、岸信介、田中角栄の3人が戦後日本の構築に果たした役割がテーマだったが、中でも印象に残ったのが吉田茂の人を喰ったような笑い顔だった。
彼はサンフランシスコ講和条約を結んで、日本の独立を回復した立役者として紹介され、講和条約のすぐ後、日米安保条約を結んだ事を誇らし気に語る時の自慢気な笑顔だった。彼は言う、その条約は国会での審議も了解も取らずに自分の独断で結んだ条約だった、と。さらには、それがワンマンのワンマンたるゆえんでしょうな、などと尾鰭まで付けていた。
日本は第二次大戦後西欧型の民主主義国家に生まれ変わったのではなかったか。一人の独裁者が勝手に外国と条約を結ぶなんて、まるでロシアや中国のようではないか。確かに彼の判断で日本は防衛費を最小に押え、経済発展に注力する事が出来た。(しかし、国民が食うや食わずの時に、駐留米軍の家族の贅沢のために日本の国家予算が使われていた事が孫崎享「戦後史の正体」で述べられている)国民の福祉向上につながるのであれば、意思決定の過程が独裁的であっても良いではないか、というのは中国流の民主主義だ。日本人はそれを是とはしないのではなかったか。
駅伝の運営に関する意思決定も、愚考するに恐らくは警察トップの腹一つでこうした催しが可となり、その決断を下したトップは話の分かる大物だという評価を得ているのだろう。法律がどうの、決まりがどうのと、いちいちうるさい事を言うな、という声も聞こえて来そうである。それで良いのならそれで良いが、ならば中国型の民主主義を批判するのは筋が通らない。
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