2025年2月25日火曜日

関税

 関税について詳しくは知らないのだが、トランプ大統領が勝手に決めているように行政の専権事項として設定の出来るものなのだろうか。

例えば、誰か犯罪者に対して「あいつは気に喰わないから死刑にしてしまえ」と言いたくても刑法で量刑が決まっているから勝手に重い罪を背負わすわけにはいかない。どうしてもそうしたければ国会審議の上刑法改正をしなくてはいけないはずだ。

個々の物品について細かく関税の税率が法律で決まっているとは思わないが、それでも何らかの立法上の制限があって、行政が勝手気儘に設定できないのではないかと考えるのが三権分立の思想からすると自然だと思うのだがどうか。

日本の首相とアメリカの大統領では権限に大きな違いがあるのも分かっているが、昨今の米価の高騰ぶりを見ると、なんとか首相の一言でコメの関税を下げて輸入米の流通を図って貰えないものかと思ってしまう。

新米の時期になって、しかも前年以上の豊作だったと言うのに一向にコメの値段が下がらないのは誰かが将来の値上がりを見込んで貯め込んでいるとしか考えられない。そんな投機目的で市場を歪めている不届きな輩に警告を与える意味でも、コメの輸入関税を期間限定で撤廃する、というような宣言を首相が出してくれないものだろうか。

3年前くらいだったか、近くのスーパーではオーストラリア産のコメが51200円程度で販売されていた。試しに買ってみたが味は悪くなかった。カリフォルニアに住んでいた頃は現地のコメに充分満足していたし、帰国する友人達は皆が制限一杯のコメを買い込んでいたものだ。

井上ひさし著の「コメの話」なんて本を読むと、日本のコメ農家を大切にしなければとも思うが、昨今の状況を見ると、コメの関税に一考をお願いしたいと思う次第。

2025年2月18日火曜日

国際政治

 3年続いたウクライナでの戦争は、どうやらウクライナの要求は殆ど通らない状態で終わりそうだ。アメリカから梯子を外されればウクライナも為す術はなかろうし、EUがアメリカに替わって全面的に支援を継続する事もないだろうから、ウクライナは不本意な条件を飲むしかなさそうに思える。

トランプ大統領の「これ以上死者を見るのは忍びない」というのは尤もだし、損得で考えれば戦争は一部の武器商人が儲けるだけで、損ばかりだから辞めるに越した事はないが、こんな形で終わったら戦闘で命を落とした人や、我が家を瓦礫の山にされてしまった人達の気持ちはどうなるのだろう。

今から思うと、欧米はロシアとウクライナに戦争をさせて見たかったのではないだろうか。ロシアが攻め込んだのは2015年に結ばれたミンスク合意の不履行が原因かと思うが、欧米はもっと強くウクライナに履行を求めるべきではなかったか。ひょっとしたら「いざとなれば助けるから安心しろ」というサインを出してウクライナを強気にさせていたのではないかと疑う。

実は第二次大戦の発端となったナチスドイツによるポーランド侵攻も同じような構図だったらしい。独ソ不可侵条約が締結された時、両国は秘密議定書でポーランドの分割を画した。その事をルーズベルトは知りながら、ポーランドにそれを伝えず、むしろその議定書はバルト三国に関するものだと伝え、ポーランドを安心させ、強気にさせるように仕向けた。どうしてもヒトラーを悪者にしたい英米の強硬派がポーランドを敢えて犠牲にした訳だ。

東アジアでは尖閣諸島は安保条約の範囲内だと米国に言って貰って喜んでいる国があるが、本気にして浮かれ調子に乗ったりすると後で泣きを見る事になりかねない。国際政治にお人好しはいないから。

 

2025年2月11日火曜日

MAGA

 トランプ大統領のMAGA(アメリカを再びグレートにする)という主張は、よくよく考えてみると結構意味深だ。

「再び〇〇にする」という事は、かつてそうだった事はあるが今はそうでない、と認めている事になる。ふむ、そういう自覚はある訳だ。「グレート」を我々は直訳して「偉大な」と思ってしまうが、そうすると過去にアメリカが偉大な国だった事があるのだろうか、という疑問が湧く。

「偉大な国」という言葉から連想する事は、国力(経済力・軍事力)が大きくて、その力を背景に周りの国の平和に貢献し、慈悲と徳で周りに幸せをもたらす国というイメージがあるが、そもそも欧米でかつてそんな国が一つでもあったろうか。スペイン・ポルトガルによる大航海時代が始まって以降、経済力や軍事力で他を圧倒する国はいくつかあったが、そのいずれもが行った先の国々を収奪する事に一生懸命で、凡そ徳を以て接した事などなかった。それだけならまだしも、その統治に当たっては現地の人々が相反目するような仕掛けを仕込んで、自分等が去った後も紛争が絶えないよう禍根を残した。アメリカだってベトナム戦争、アフガン戦争、イラク戦争と禍をまき散らして来たではないか。せめて思い起こすのは戦後のララ物資が日本を救った事くらいだが、これだって在米の日系人がメインの運動だったそうではないか。

「グレート」を「偉大」と訳すからいけないので、「グレート」に慈悲とか徳とかの概念はないのだ。英英辞典を引いてみると「とても大きい事」という意味が一番に書いてある。トランプの言う「グレート」は要するに「もっと金持ちの国になる」という意味なのだ。だから何かというと「カネ寄こせ」と恫喝する。

そうして見るとかつて朝貢外交という形で近隣諸国に富を分け与えた中国王朝の方がずっと偉大だったように思えてくる。

2025年2月4日火曜日

背中

 誰であれその人の悪い点はその背中に書いてある、というのは私の父が良く言っていた事だが、蓋し名言だと思う。誰でも他人の背中には良く目が行くが自分の背中は見えない。自分の行いを反省する、と言っても鏡に映る自分の前姿を注視するのがせいぜいで、背中に書かれている事を他人から指摘されて初めてハッとする事が殆どだ。時には「そんな筈はない」と強弁して認めようとしない事すらある。

フジテレビも一回目の社長会見は自分の前姿だけを気にして行ったようだ。周りの人なら誰でも分かるその不備に全く気付かなかった。事前に外の眼を借りてチェックすべく例えば社外取締役を集めて予行演習などをすれば良かったのに。

自分の事を棚に上げて他人の欠点や短所をあげつらうのは、しかし悲しいかな人間の性であるようだ。昨今、テレビなどマスメディアの存在意義が問われている最中でもテレビはSNSの批判に忙しい。兵庫県のある県議に誹謗中傷がSNS上で集中した事を盛んに問題にしている。ファクトチェックは行われたのか、ユーチューバー達は事実がどうかより閲覧数を稼いでお金儲けだけに関心がある、等々。

あれっ?半年前はどうだったか。どのテレビ局も齋藤知事の極悪非道ぶりを連日流した。マスメディアが束になって一斉に悪評を流されるのは、恐らくSNSで騒がれる以上の精神的負担に違いない。あの時メディアはファクトチェックを行ったのか。他局の尻馬に乗って、視聴率稼ぎだけに関心が行っていたのではないか。今ワイドショーがSNSに対して行っている批判は、そのまま自分自身が反省すべき事柄なのだ。

ある女を罰せよと迫る群衆に対し、イエスは「なんぢら内、罪なき者まづ石を擲て」と言った。人を責める時は自分の背中を再度見よ、という事か。